クローゼ&ノイアー選外…ドイツ歴代ベスト11 同一クラブから複数人「比較的珍しい」

70年代以降のドイツ代表はかなりの部分がバイエルンだったと言える
1954年ワールドカップ(W杯)で西ドイツ代表として初優勝。1974、90年も西ドイツ時代の優勝だった。ドイツ代表としては2014年のブラジル大会。通算4回目の優勝だった。歴代ドイツ(西ドイツ含む)のベストイレブンを選ぶにあたって、外せない選手が2人いる。ゲルト・ミュラーとフランツ・ベッケンバウアーだ。そのために多くの名選手を外さざるを得なかった。
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ミュラーは代表62試合で68得点している。ミロスラフ・クローゼは代表通算71ゴールで最多。W杯通算16得点も歴代最多。だが、得点率にするとクローゼは1試合あたり0.52得点。ミュラーは1.1得点。ミュラーの得点力がダントツなのだ。サッカー史上でもトップクラスのゴールゲッターだった。
ミュラーの得点能力はその俊敏性から生み出されている。短い距離での動きの速さが特別で、この点では史上でもブラジルのロマーリオと双璧だと思う。クロスボールやこぼれ球への予測も鋭く。いわゆる「嗅覚」に優れていた。ミュラーの神秘的なまでの得点能力に比べると、ルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、トーマス・ミュラーは影が薄い。
ドイツサッカーは「リベロ」とともにあり、多くの名選手を輩出している。バロンドール受賞者5人のうち3人がリベロ。ローター・マテウスの1990年受賞はMFとしてだが、その後すぐにリベロにポジションを変えた。1996年受賞のマティアス・ザマーはドイツ代表の欧州選手権優勝とボルシア・ドルトムントのCL優勝に貢献。ただ、この年を最後に負傷でプレーできず、活躍は短い時期にとどまった。他にもクラウス・アウゲンターラー、オラフ・トーンら優れたリベロがいた。
しかし、ベッケンバウアーはこのポジションのパイオニアであり、世界中に無数の模倣者を生み出したが、ついぞ本家を超える者は現れていない。ミュラーと並んで絶対的な存在である。
スイス発祥のカバーリングバックがイタリアで普及してリベロと呼ばれたが、「自由人」なのはマークを持たないDFだったからにすぎない。英語のスイーパー(掃除人)の方が相応しい呼び名だった。このポジションが特別になったのはベッケンバウアーの登場からなのだ。守備だけでなく攻撃ではビルドアップの軸となり、プレーメーカーとして組み立て、さらに前線に上がって得点、アシストと縦軸を完全に支配するプレースタイルを確立している。
1972年欧州選手権でベッケンバウアーとコンビを組んだギュンター・ネッツァーは当時を代表するプレーメーカー。ボルシアMGではリベロでもプレーしていた。ベッケンバウアーと交互にゲームを作るダブル・リベロ方式は画期的だった。
もう1人、70年代からベルティ・フォクツを選びたい。ネッツァーとはボルシアMGのチームメイト。1974年W杯決勝でオランダのヨハン・クライフを完封したことで知られるエースキラーだ。もう1人のストッパーは80年代からカールハインツ・フェルスター。ドイツの栄光を支えてきたのはマンツーマン守備の強さだった。
インサイドハーフにはトニ・クロース、メスト・エジルの2014年W杯優勝のコンビを選出。ウイングバックの右にはマンフレッド・カルツ。堅固な守備と正確なクロスボールで攻撃的SBとして知られていた。左は本来攻撃的MFのトーマス・ヘスラー。敏捷でブレのないテクニックがハイレベル。運動量もありウイングバックでも大丈夫だろう。
GKもマヌエル・ノイアーら多くの名手がいるものの、存在感でオリバー・カーンとした。ミュラーとの2トップを組むのはカールハインツ・ルンメニゲ。スピード抜群、シュート力も素晴らしい。バロンドール2度受賞はベッケンバウアーと並ぶドイツ人最多である。
こうしてみるとやはりバイエルンの選手が多い。70年代以降のドイツ代表はかなりの部分がバイエルンだったと言える。長きにわたって1つの強力なクラブが代表の土台になっている比較的珍しい例かもしれない。

西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。



















