契約満了から1年…J1昇格に号泣「いろいろと考えて」 隠した怪我「キックすら怪しかった」

水戸の渡邉新太「昇格と優勝を味わわせてもらったなかで涙が出てきちゃって」
水戸ホーリーホックがクラブ創設31年目で悲願のJ1初昇格を決め、さらに逆転でのJ2リーグ優勝で花を添えた11月29日の最終節に特別な思いを抱いて臨んだストライカーがいた。内側側副靭帯を損傷した右膝が完治せず、シュートを打てる状態ではなかったと明かした水戸のチーム得点王、30歳のFW渡邉新太が8試合ぶりにベンチ入りを果たし、同じく後半37分からピッチにも立ち、試合後に号泣した意味を追った。(取材・文=藤江直人)
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右膝の状態だけは絶対に相手に悟られてはいけない。渡邉は何度も自らに言い聞かせながら、3分台が表示された後半アディショナルタイムを含めて10分以上の時間を戦い抜いた。
ストライカーの体に何が起こっていたのか。ホームのケーズデンキスタジアム水戸で大分トリニータに2-0で快勝。クラブ創設31年目で悲願のJ1初昇格を決めただけでなく、V・ファーレン長崎が引き分けた結果としてJ2リーグ優勝まで手にした11月29日の最終節後。渡邉は衝撃的な事実を明かしている。
「はっきり言って右足でシュートを打てなかった。キックすら怪しかった。コンディションや動き的にはクリアしている部分が多かったけど、それでもシュートのない渡邉新太なんか相手の脅威じゃないと思ったので」
チーム最多の13ゴールをあげている渡邉がピッチに立つのは70日ぶりだった。両チームともに無得点でハーフタイムを迎えた9月20日のいわきFC戦。ゴールを求められる展開で、渡邉は大卒ルーキーのMF山本隼大と交代した。クラブから右膝内側側副靭帯損傷による離脱が発表されたのはいわき戦の8日後だった。
全治などの詳細は明かされていない。それでもいわき戦を最後に、一度もベンチ入りすら果たしていない軌跡が右膝の状態を物語る。勝てば昇格と優勝が同時に決まる大一番で長崎に競り負け、首位から陥落した11月23日のJ2リーグ第37節でも、敵地のスタンドで悔しそうな表情を浮かべる渡邉の姿があった。
しかし、全員が気持ちを切り替えて臨む最終節でエースは帰ってきた。利き足の右足ではシュートは打てない。それでも背番号7をベンチ入りメンバーの一人に加え、リードを2点に広げていた後半37分から、追加点を豪快なミドルシュートで決めていた山本に代えピッチに送り出した意図はどこにあったのか。
最後は渡邉で、というメッセージを込めたのか。こう問われた水戸の森直樹監督は静かにうなずいた。
「やはり彼の経験やリーダーシップ、背中で若い選手たちを引っ張ってくれる存在感という部分で、あの時間帯で最後、ゲームをしっかりと締めるためには絶対に必要だと思って最後、交代で出しました」
シーズン中の8月に30歳になった渡邉は昨シーズン限りで、くしくも対戦相手だった大分から契約満了を告げられた。新潟市で生まれ育ち、地元のアルビレックス新潟から完全移籍で加入して4年目。昨シーズンはキャプテンまで務めた渡邉は、大分を通じてこんな言葉とともにサッカーへ抱き続ける思いを残している。
「根性論や感情論でサッカーを語るつもりはないけど、自分の内から湧き出るサッカーへの情熱だけは失いたくないし、そこはずっと大事にしてやっていきたいです」(原文ママ)
身長171センチ・体重67キロの体に熱く脈打つ魂が、水戸を内側から変えるのにそれほど多くの時間はかからなかった。戦線離脱を余儀なくされた時点でリーグ2位、日本人選手では1位となる13ゴールをマーク。アシストも7を数えていた渡邉は攻撃面だけでなく、ピッチを離れた部分でも若手が多い水戸を牽引してきた。
たとえば今シーズンに大ブレークを遂げ、FIFA U-20ワールドカップの舞台にも立った20歳のMF齋藤俊輔。渡邉の自宅を何度も訪ねては手料理に舌鼓を打つなど、公私両面で畏敬の念を抱いてきたアタッカーは言う。
「彼がいなかったらこのチームの攻撃は難しかったし、絶対に昇格には届かなかったと思っています」
だからこそ右膝に大怪我を負った渡邉の戦線離脱が、水戸に与えたショックは計り知れないほど大きかった。しかし、下を向くわけにもいかない。同時に自覚と責任感が芽生えてきたと齋藤は明かしている。
「もちろんエースでトップスコアラーがいなくなるのはつらい。そんな不安もありつつ、そのなかで自分自身を含めて、代わって出る選手には『やってやろう』という気持ちも芽生えていた。彼に助けられてきた部分が多かった分だけ、今度は彼がいないなかで自分が助ける番だと思ったし、少しは貢献できたんじゃないかな、と」
渡邉を抜きにして今シーズンは語れないからこそ、完治にはほど遠く、右足でシュートを放てない状態であったとしても、エースがベンチにいるだけで水戸は奮い立った。先発した11人の平均年齢が実に23.82歳の水戸が後半だけで2点を、それもともにルーキーの一撃で奪った快勝の先に大願成就の瞬間が待っていた。
仲間たちから「いるだけで影響がまったく違う」と言われた渡邉もまた、チームに感謝していた。
「大事な時期に怪我をしてしまってチームにすごく迷惑をかけたし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたけど、チームメイトたちのおかげでこうして最後にピッチに立てた。(2点差になって)少し楽な展開になっていたというか、気持ち的にもあまり緊迫した感じではなかった分だけ、思い切ってプレーができました」
言うまでもなく放ったシュートはゼロ本。それでも試合終了の挨拶に並んだあたりから涙腺が緩みだし、やがてピッチの上で人目をはばからずに号泣した。ちょっぴり照れくさそうに渡邉が涙の意味を明かす。
「怪我をしてからとか、大分を契約満了になってからとか、そういったものを全部ひっくるめてきょうの試合まで本当にいろいろと考えてきました。実際に大分を満了になってから、このチームに来てからの1年で人間的にもすごく成長させてもらったし、こうして最後に昇格と優勝を味わわせてもらったなかで涙が出てきちゃって」
プロになってからの8シーズンで、J1の舞台でプレーしたのは大分時代の2021シーズンの一度だけ。奮闘するも4ゴールに終わり、チームも無念のJ2降格を喫したリベンジを、渡邉は情熱と経験のすべてを捧げてきた水戸のエースストライカーとして、波瀾万丈に富んだキャリアのハイライトにすべく全力で突っ走っていく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。





















