教員志望も…ドイツ行き→古豪クラブ分析官 異色キャリアを歩む日本人のリアル

教員志望からドイツへ──情熱に導かれたアナリスト平川聖剛氏の挑戦
「これはチャンスだと思ったんです」──教員への道を歩むはずだった平川聖剛氏が、サッカーへの情熱に突き動かされてドイツの地を踏んだのは2018年のこと。言葉も文化も異なる環境で経験を積み重ね、ドイツサッカー協会のアナリストグループの一員として日本代表の分析も担当。ブンデスリーガの1.FCケルンでアナリストとして活動し、現在は同クラブU17アシスタントコーチを務める平川氏の紆余曲折のキャリア、そしてアナリストから見た現地のリアルに迫る。(取材・文=中野吉之伴/全4回の1回目)
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ドイツサッカー界における伝統クラブといえば、1.FCケルンの名を挙げる人は多いだろう。日本人にとっても、かつて奥寺康彦が歴史的な活躍を遂げ、その後も槙野智章、長澤和輝、大迫勇也らがプレーしたクラブとして馴染み深い存在だ。近年は1部と2部を行き来しているが、1963年に開幕したブンデスリーガの初代王者であり、1977-78シーズンにもリーグ優勝。さらにDFBポカールを4度制した実績を誇る古豪でもある。
そんなケルンで、2023-24シーズンにアナリストとして活動していたのが平川聖剛。現在はケルンU17のアシスタントコーチを務めている。
小中高の数学教員免許を持つ平川は、もともと大学卒業後に数年の社会経験を経て教員になる道を考えていたという。だが、サッカーへの情熱を捨てきれず、大学サッカー部OBでケルン体育大学を卒業した人物の話を聞いたことがきっかけとなり、ドイツ行きを決意。2018年に渡独した。
最初の滞在地はフライブルクだった。筆者が監督を務めていたフライブルガーFC U16でアシスタントコーチとして経験を積んだ平川は、その後、ケルン体育大学へと進学。さまざまなクラブのさまざまな年代で監督・コーチを歴任し、2021年からドイツサッカー協会のアナリストグループ「チーム・ケルン」に参加するチャンスを掴み、カタール・ワールドカップ(W杯)では日本代表の分析を担当する役割も担った。
その後、3部のヴィクトリア・ケルンU19での働きぶりが高く評価され、1.FCケルンの門が開かれることになった。
「アナリストの方のアシスタントという立場でしたが、これはチャンスだと思ったんです。インターンでしたが、フルで働いている人と同じ感じでやろうと本気で取り組みました。そうした姿勢と仕事ぶりが結構評価されたことと、以前から仲良くしてくれていたドイツ人指導者からのつながりがあったこと、あと2021-22シーズンにケルンが7位でブンデスリーガを終えて、UEFAカンファレンスリーグ予選プレーオフの出場権を手にしたことで、スタッフの充実を考えていたこととが全て上手く噛み合って、3人目のアナリストとして仕事をいただけるようになりました」
選手とも向き合うアナリスト…多岐にわたるトップチームでの業務
ケルンの練習場にある育成アカデミーのオフィスで、平川は笑顔で筆者を迎え入れ、これまでの経緯や現在の想いを丁寧に語ってくれた。
トップチームでの具体的な業務内容は、ファーストアナリストがコーチを兼務し、平川とセカンドアナリストの2人で試合映像を分析。マッチレポート用のビデオベースを作成し、それを基にファーストアナリストが試合選定や戦術方針をまとめ、チームミーティングで選手に共有する流れだ。
「基本的にボールアクションより、ボールをもらう前、ボールをもらったあとのポジショニングと視線方向、ファーストタッチの方向をチェックしていました、僕はそれに加えて、相手選手のハイライトクリップの作成も担当していました。選手によっても、調子によっても、そうした分析を求めるかは人それぞれ。絶好調だと、『今は上手くいっているから大丈夫だよ!』とノリノリだし、逆に手応えを感じていない選手は、『何か足りなんだよな……』ときっかけを探そうとしてくることもあります」
選手たちとのコミュニケーションは総じて良好で、人間性に優れた選手が多かったという。とはいえ、プロ選手も人間だ。上手くいかない時は気持ちが沈んだり苛立ったりするのも当然のこと。そんな時、平川らアナリストは良き話し相手でもあった。
「特に試合に出なかった時の対応は、自己評価が高すぎるか、自己評価が現実的かの大体2タイプに分かれると思います。だから、こちらの対応も違ってくる。アナリストがスタメンの決定権を持っていないことは選手も分かっているので、ざっくばらんに話ができるんです。僕らは選手だけのミーティングに呼ばれることもありました」
ブンデスリーガはハイレベルかつ厳しい戦いの連続だ。2023-24シーズンは、ドイツ代表MFフロリアン・ヴィルツやスイス代表MFグラニト・ジャカらを擁したレバークーゼンが圧倒的な強さを誇った。
「例えばレバークーゼンは、ボランチ2人の距離が近く、それに対してこちらもそこに2人を割くと、ほかにスペースが生まれてしまう。その空いたスペースにはヴィルツがいるし、(アレハンドロ・)グリマルドも巧みにポジションを変えてくる。どうやってプレッシャーをかけたらいいのかと思っていました。相手の次の展開を予測しながら、連続でプレスをかけ続けるのが相当に難しいと感じました」
ブンデスリーガの舞台で得た手応え…育成に生かされるトップの経験値
同シーズン、ケルンは奮闘及ばず17位で2部降格という厳しい結果に終わった。トップチームの現場は常にプレッシャーに晒されるが、上手くいった時の達成感も大きい。2-0で勝利した2024年2月のフランクフルト戦はその一例であり、「分析で出したものが上手くハマった」と平川は回顧する。
「あの試合ではプレッシングに行く場所が上手くハマりました。スタートポジションから誰がプレスをかけるのか、ディフェンスラインをどこまでスライドさせるのか、どの場面でサイドハーフを落とさせるのかなど、試合前にコーチングスタッフともディスカッションし、僕が『こうしたほうがいいんじゃないか』と押し通したアイデアが上手くいった試合だったので嬉しかったですね」
2024-25シーズンの平川はU16のアシスタントコーチ兼アナリストとして、育成の場へ移行(現在はU17アシスタントコーチ)。トップチームでの1年はかけがえのない経験となった。
「経験としてはめちゃくちゃ良かったと思います。U16に来た時に思いましたが、周りからの見られ方が違うと感じます。おそらくU19からアナリストとして来た場合と、トップを経験してからU16に来た場合では、周りのコミュニケーションの仕方も絶対に違う。僕は日本人なので、(欧州でやっていくうえで)そうしたキャリアを1つ踏めたのは大きかった。プロの舞台を経験させてもらったので、『プロから見た場合に選手はこうすべきだよな』という視点の精度が上がった感覚も確かにあります」
言葉の端々に自信と覚悟がにじむ。アナリストとして培った知見を育成の現場で還元し、指導者としてさらなる高みを目指す。欧州の地に、その歩みを確かに刻む日本人が、ここにもいる。(文中敬称略)
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。













