三浦知良、釜本邦茂さんを追悼「目標には遠すぎる方」 ブラジルで実感…ペレが「知っているか?」

鈴鹿・三浦知良【写真:荻島弘一】
鈴鹿・三浦知良【写真:荻島弘一】

カズが釜本さんについてコメントを発表

 アトレチコ鈴鹿のFWカズ(三浦知良、58)が、釜本邦茂さんの死去を受けてクラブを通してコメントを出した。「具合が悪いとお聞きしており、ずっと心配していたのですが、訃報に接しまして本当に残念です」で始まる長文のコメント。以下が、その全文。

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   ◇   ◇   ◇

 釜本さんは40歳までプレーされた。あの当時、その年齢までプレーされた選手はほとんどいなかったはずです。

 ブラジルのサントスの下部組織でプレーしていた40年近く前のこと。コーチからロッカールームに呼ばれると、シャワーを浴び終えたばかりのペレがいました。「サントスで頑張っている日本のカズだ」とコーチが引き合わせてくれました。するとペレが言いました。

「お前、カマモトを知っているか? 俺の友人なんだ。引退試合にも呼ばれてね。ものすごい太もも、ものすごいシュートを持っている、ものすごいストライカーなんだぞ」

 日本の選手であることを蔑視されることも多かった時代に、あの「キング・ペレ」がガマさんを「最高のストライカーだ」と語るのを聞いたとき、日本人としてものすごく誇らしかったことを、今でも思い出します。

 国際Aマッチとしての代表チーム同士の対戦が限られていた時代に、日本代表で75得点。クラブチームとの対戦でのゴールも含めたら200ゴール近くまで到達していたんじゃないですか。

 ウソか誠か、50年近く前の当時にイングランドのアーセナルからオファーがあったとも聞きました。そのくらいガマさんの名前は世界にとどろいていました。

 どの時代でも、評論家の方々から、日本代表は「釜本のようなセンターフォワードがいればもっと強いのに」と、ことあるごとに言われ続けてきたような気がします。時が流れてもそのすごさは、薄れることなく受け継がれていました。

 僕が34歳のころ、京都サンガでの練習試合を見に来てくださいました。「俺は40歳間近のころは怪我でほとんど試合に出られなかったけれど、カズは40歳までしっかりやりきれよ。もう一回代表にいけ」と叱咤していただきました。

 58歳までやってしまっていますけれどね。ことあるごとに気にかけてくださって、フォワードとして点を取る孤独さを理解してくださっているんだなと、勝手に喜んでいました。

 目標とするには遠すぎる方でした。本当にありがとうございました、という感謝の言葉しかありません。心からご冥福をお祈りいたします。

三浦知良

(FOOTBALL ZONE編集部)



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