森保監督の英断が導いた95年ぶり快挙 恩師が感慨…30歳遅咲きFWの「継続は力なり」

代表デビュー戦で4ゴールのジャーメイン良【写真:Noriko NAGANO】
代表デビュー戦で4ゴールのジャーメイン良【写真:Noriko NAGANO】

A代表デビュー戦で4得点のジャーメイン良、恩師・本田裕一郎監督も称賛

 7月8日のホンコン・チャイナ戦から幕を開けた日本男子代表の2025年E-1選手権。初戦は6-1で圧勝だったが、代表デビュー戦で衝撃的な4ゴールをマークしたジャーメイン良(サンフレッチェ広島)のインパクトがあまりにも強烈だったと言うしかないだろう。

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

 A代表デビュー戦での4得点は、実に95年ぶりの快挙だという。たとえ相手が格下であっても、簡単に達成できることではない。

「ジャメ君が1試合であんなに点を取るのを広島では見たことがなかった。僕はベンチにいて(中村)草太の近くで座ってましたけど、『周りが悪かったんだね』と話しながら見てましたね(苦笑)。これをきっかけに広島でも爆発してくれたら嬉しいです」とチームメートの守護神・大迫敬介(広島)も驚きのコメントを口にしていたが、本人は時に“ケチャドバ”(一度ゴールが生まれると立て続けに入る意)が現実になることを自覚している様子だ。

「昨年(のジュビロ磐田)で見せていた爆発力が出たかなと思います。昨季の川崎(フロンターレ)戦(2024年3月1日/等々力)でも4ゴールを挙げて、(自身の)J1最多得点記録を1試合で超えたことがありましたけど、ちょっと自分らしいなというのはありました」と彼は誇らしげに語っていた。

 このパフォーマンスを日本で見守っていた1人が、流通経済大学付属柏高校時代の恩師・本田裕一郎監督(現国士舘高校テクニカルアドバイザー)だ。

「相馬(勇紀)からのクロスに胸トラップから左足を振り抜いた1点目、同じく相馬からのクロスに流れながらヘッドで合わせた2点目もそうですけど、ゴール前の入り方もタッチも本当に良かった。相馬のアシストも素晴らしかったですね」と高校サッカー界の名将は語る。

「ジャメの場合は本当に『継続は力なり』を実践してきた人間。サッカー選手に年齢は関係ないとは言いますが、30歳になった彼を日本代表に引き上げるのは簡単なことじゃない。その年齢のFWを今回、抜擢した森保一監督らスタッフの英断の成果ですし、年齢を重ねた選手に希望を与えたことも確か。ジャメにはもう一段階上を目指してほしいです」と本田監督は力を込めた。

「清々しい高校生」の印象…大学を経へ大ブレイクまでの軌跡

 ジャーメインが流経柏でプレーしていたのは2011~14年。2つ上に田上大地(ファジアーノ岡山)や湯澤聖人(アビスパ福岡)、1つ上に武田将平(京都サンガF.C.)、同期に小泉慶(FC東京)、青木亮太(北海道コンサドーレ札幌)らがいる環境だった。特に高校3年の時点ではテクニシャンの青木が非常に注目されており、高卒時点でビッグクラブの名古屋グランパスに引っ張られるほどだった。

 筆者も当時、流経柏のグランドを訪ね、高校3年のジャーメインと取材で接しているが、明るく社交的で前向きだった印象がある。高評価を受けていた青木や小泉のことをリスペクトし、“清々しい高校生”という記憶が色濃く残っている。

 その後、彼は流通経済大学に進み、2018年に当時J1のベガルタ仙台へ加入。2020年まで過ごし、2018年は17試合出場3ゴール、2019年は21試合出場1ゴール、2020年は12試合出場2ゴールと突出した成績ではなかった。この時点でジャーメインの代表入りを予見できた者は、皆無に近かっただろう。

 だが、本田監督が「継続は力なり」と話したとおり、ジャーメインは決して諦めずに高みを目指し続けた。2021年の横浜FCで才能が開花し始め、翌2022年に当時J1のジュビロ磐田へ。そこでの3年間で大きな飛躍を遂げたのだ。

 磐田での1年目は29試合出場3ゴール。杉本健勇(RB大宮アルディージャ)がいたこともあり途中出場が多く、コンスタントな活躍とはいかなかった。そんな立場から脱したのが2023年。チームはJ2に降格したものの、森保監督の片腕として2022年カタール・ワールドカップ(W杯)まで日本代表で指導していた横内昭展監督(現・モンテディオ山形監督)の下でコンスタントに出場。当初は右サイドハーフ起用がメインだったが、5月以降は1トップに定着すると、このシーズンに31試合出場9ゴールというキャリアハイを記録する。

 磐田が1年でのJ1復帰を果たすと、2024年に大ブレイクを見せる。前述の川崎戦での4発のようにゴールを量産し、最終的に31試合19ゴールという凄まじい数字を記録。今回のE-1選手権にともに初招集された山田新(川崎)と並ぶ日本人得点王に輝き、広島に引き抜かれる形となったのだ。

遅咲きのストライカーが目指す「E-1→W杯」のメンバー入り

 今季、新天地の広島ではなかなかゴールという結果に恵まれないが、本人は自信を失ってはいない。

「自分はJ1では結果を出すのが遅かったので、昨年の数字だったり、プレーというところを継続して見てもらえたから、この大会に呼んでもらえたのかなと思います。まあ遅かったですけど、こういうチャンスをもらえたので、日本の優勝に貢献したい。それだけですね」

 韓国に赴いたあとも前向きなマインドを持ち続けていたが、初戦でいきなり大きな成果を残せたのだから、ジャーメイン自身も周囲も手応えを得たに違いない。

 森保監督の盟友・横内監督の下で2年間、しっかりFWとしてのタスクや動き方を学んできたことがアドバンテージになっているのだろう。加えて、ホンコン・チャイナ戦ではシャドーの一角で起用されたこともプラスに働いた。前線のポジションを幅広くこなせる柔軟性と万能性は、今後の試合でも生きてくるはずだ。

 華々しい代表デビューを飾った30歳の点取り屋。しかし、真価が問われるのはこれからだ。7月12日の中国戦、同15日の韓国戦で結果を出してこそ「本物」と認められる。過去には、2013年韓国大会の柿谷曜一朗、2022年日本大会の町野修斗(キール)らが、E-1選手権の活躍をきっかけにW杯メンバーへと駆け上がった。遅咲きの男が、彼らと同じ道を辿れるか。恩師・本田監督のためにも、彼は今まさに、大きな仕事に挑もうとしている。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



page 1/1

元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

今、あなたにオススメ

トレンド