「2000億円をドブに捨てた」迷走する英名門“20周年” 日本人移籍に逆風…巨額利益狙いの「売り時」

グレイザー家がユナイテッドのクラブ株式完全買収を終えて20年
「アニバーサリー」というと、日本では記念すべき日を祝うイメージがあるかもしれない。英単語としては、基本的に「~周年」という意味。起こってほしくはなかった出来事を悲しむ日にも用いられる。
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例えば、マンチェスター・ユナイテッドにとっての6月28日。今年は、イングランドの名門クラブが、グレイザー家の「所有物」となって20回目の“アニバーサリー”だった。
2005年に、その2年前からクラブ株式の取得を進めたアメリカ人一族が、完全に買収を終えた日。それは、ユナイテッドのみならず、プレミアリーグ、さらには国内サッカー界にとっての悲劇だった。イングランドを代表する強豪が、利益を吸い上げられ、オーラを吸い取られることになったのだ。
アメリカの実業家によるクラブ買収自体は、今やプレミアでは当たり前だ。しかし、資金の大半を高利子の借入金で賄った買収の当否は、遅ればせながら、その18年後から許されなくなっている事実からも明らかだ。
ユナイテッドのアメリカ人オーナーは、私財を当てることもできた借金の返済をクラブに押し付けた。そのうえで、就任10年目からは、利益配当金まで受け取るようになった。言わば、クラブ最大の存在目的が、オーナーの「懐」になってしまったようなものだ。
負債知らずの優良クラブでもあったユナイテッドは、オーナー交代以降、利息も合わせれば10億ポンド(約2000億円)を超す返済義務を背負わされたと報じられている。それに伴う経営予算の圧迫がなければ、「夢の劇場」として知られてきたホーム・スタジアムが、「雨漏り」で知られるような事態にはならなかった。トレーニングセンターに関してメディアで頻用される形容詞が、「最先端」から「時代遅れ」へと変わることもなかった。
グレイザー政権下で見られたピッチ上への悪影響
当然、ピッチ上への悪影響も見られた。最も鮮明な記憶は、2012年のエデン・アザール獲得失敗だ。その翌年まで、27年間もの長期政権を敷いたサー・アレックス・ファーガソン監督に、「要求額ほどの価値はないと踏んでいた」との発言があったように、表面的にはチェルシーとの獲得競売に付き合わなかった格好だ。日本人的な視点では、香川真司の獲得成功という理解にもなる。要した移籍金は、アザールの半分程度だった。
しかしながら、当時のユナイテッドは、アザールと同じ3000万ポンド(約60億円)台の値札に、移籍市場で尻込みをするシーズンが続いていた。2011-12シーズンのプレミア最終節で、ユナイテッドの連覇を阻止し、地元の宿敵マンチェスター・シティに優勝決定ゴールをもたらした、セルヒオ・アグエロもその1人。同シーズン開幕前には、ウェズレイ・スナイデルの獲得も見送られた。サー・アレックスの評価も高かった、ダビド・ビジャを諦めた2年後のことだった。
いずれも、移籍金のかさむ補強対象を26歳以下に限定していた時期の出来事ではある。23歳で獲得した香川を、サー・アレックスは「値段以上の価値がある」と評価。加入1年目に、日本人選手として初のプレミア王者となってもいる。しかし、在籍は2年で終了。監督交代後の不遇もあり、不完全燃焼のまま、ボルシア・ドルトムントへの出戻りとなった。
一方のアザールは、21歳でのチェルシー加入。籍を置いた7年間には、主軸として2度のリーグ優勝を含む国内外4冠に輝き、プレミア随一のスターとなって、移籍金に見合う価値を示していた。
同じく、サー・アレックスによる、「チェルシーのサポーターにでもなるがいい」という発言も覚えている。グレイザー政権に不満を唱えるファンを意識しての一言だった。世界的な名将とはいえ、オーナーとは被雇用者の関係にあるのだから止むを得なかったのだろう。それにしても、実質的にクラブ最大の影響力を持つかに思われたベテラン指揮官は、オーナー支持の姿勢を貫いた。
当時のデイビッド・ギルCEOも、内部で波風を立てようとはしなかった。実現前には、完全買収を嫌うスタンスを見せていたが、最終的には、オーナー交代で年俸が倍増した役員として、やはり2013年にクラブを去っている。
外野が、しかも事後にものを言うのは簡単なことではある。しかし、ユナイテッドでは、グレイザー一族以外の首脳による選択や判断のミスが、私腹を肥やすことにしか情熱を感じさせない所有者によるダメージを拡大させてしまったのではないか? 帳簿上はさておき、ピッチ上での状況悪化を、アメリカ人オーナーだけのせいにはできない。特に、2024-25シーズンで、リーグ優勝から13年間も遠ざかることになっている、サー・アレックス勇退後のクラブにおいては。
2013年から8年間CEOを務めたエド・ウッドワードは、フットボールダイレクター職の導入を拒み続けた。サッカーの現場に精通した補佐役がいれば、年々、タイトル獲得への焦燥感が強まるなかで、結果的に「10億ポンドをドブに捨てた」と言われるほどの補強失敗を繰り返すことはなかったとも考えられる。

選手が最高峰レベルのプレー環境を望めない現状
同年に就任した新監督は、デイビッド・モイーズ(現エバートン監督)。かく言う筆者も、当初は、監督として油が乗り始める50歳だった英国人との6年契約に、「ユナイテッドらしい」と感心した。だが今にして思えば、クラブは、次なる長期政権への移行という理想ではなく、後続の監督陣にとって厳しすぎない現実を意識すべきだったと思える。サー・アレックスが去っても、ユナイテッドの強さは変わらないのだと思わせるだけの、実力と経験の持ち主を後任第1号とすべきではなかったかと。
仕事始めにあたり、監督室の椅子に座って喜んでいる姿がタブロイド紙に掲載されたモイーズは、そこまでの器ではなかった。結果、10か月で再び監督交代を見たあとのチームには、「迷走」の一言しかない。62歳だったルイス・ファン・ハールから40歳のルベン・アモリムまで、サー・アレックス後の正監督が6人を数えるユナイテッドは、優勝候補筆頭格のステータスのみならず、明確なスタイルをも失っている。
その1人目として、「タイトル」に飢えて2016年に招聘することになった、ジョゼ・モウリーニョ(現フェネルバフチェ監督)を迎えることもできたはずだ。モウリーニョは、実際の就任1年目にリーグカップとヨーロッパリーグの2冠、2年目にはリーグ2位フィニッシュを実現。その存在感と結果を出す手腕の双方で、サー・アレックスの不在感を弱められる後任を指名していれば、交代直後のリーグ優勝という強力な“クッション”を挟んで、より攻撃的なスタイルとの両立を目指せる次世代へと、采配のバトンをつなぐことができたように思える。
後続の1人となったエリック・テン・ハフ(現レバークーゼン監督)は、ポゼッション志向であるはずが、持ち駒の特性と結果の必要性から、カウンター主体の戦い方を選択せざるを得なかった。
テン・ハフ体制2年目の2023年、鈴木彩艶(現パルマ)が移籍を選ばなかったのは、「チーム内競争」を考慮しての決断だった。ユナイテッドは、バックアッパーとして2年程度の準備期間を想定していたうえ、指揮官が前任地のアヤックスで旧知のアンドレ・オナナを新GKとして獲得してもいた。
ただし、今夏も噂の三笘薫がユナイテッドの誘いを蹴ることになれば、それは「チームの競争力」が理由になるだろう。昨年11月に発足したアモリム新体制は、監督の志向性と合致する戦力が乏しいシーズンを、勝ち点42ポイントの15位という、プレミアではクラブ史上最低の成績で終えた。決勝に駒を進めたヨーロッパリーグでは、プレミア17位のトッテナムに敗れ、CL出場権を伴うタイトル獲得もならなかった。
移籍金だけの問題であれば、アモリムが構想外と見なす人員の整理による売却益を前提として、5000万ポンド(約100億円)前後を欲しがると見られる、ブライトンに商談を持ち掛ける予算はある。しかし、噂のあるプレミア内の競合は、今季王者のリバプールと、2位で優勝を争ったアーセナルに加え、4位につけたチェルシーもCL出場権を手にしている。日本代表の主力が、来夏のW杯へと続く来季に、最高峰レベルのプレー環境を望んでも不思議はない。
ユナイテッドでは、昨年2月から、英国人のサー・ジム・ラトクリフがCEOを務めるイネオス社が、少数株主となって競技面に関するクラブ運営を行うようになっている。とはいえ、ピッチ上での状況好転には時間が必要だ。現場での舵取りを担当するアモリムにしても、来季の滑り出し如何では、2年目を乗り切れるかどうかが怪しい。
その間も、グレイザー政権は続く。クラブによる借金返済も続き、チームの低迷まで続く危険性すらある。だが、自らの懐は痛まないオーナー一族は、巨額の利益が見込める「売り時」を待ち続けるのだろう。そして、6月の“アニバーサリー”も訪れ続ける。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。