「広島で終えたい」それでも欧州挑戦の訳 ベンチ外と苦悩…25歳に生まれた渇望

ザルツブルクの川村拓夢【写真:Getty Images】
ザルツブルクの川村拓夢【写真:Getty Images】

「本当に海外に行きたい考えは全くなかった」から一転した川村拓夢の思い

 サンフレッチェ広島でキャリアを終える夢を抱いていたMF川村拓夢は、なぜオーストリアの強豪レッドブル・ザルツブルクへの移籍を決断したのか。その裏には、代表での悔しさ、クラブでの苦悩、そして自らを変えたいという強い覚悟があった。古巣・広島への愛、代表への渇望、そして海外での苦闘――。度重なる試練を乗り越えながら歩みを進める25歳の思いに迫る。(取材・文=中野吉之伴/全3回の3回目)

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 川村拓夢がサンフレッチェ広島からザルツブルクに加わったのは2024年6月だった。

 サッカー界のグローバル化が進むなか、日本人選手にとって海外クラブでのプレーは今や特別な選択肢ではなくなった。欧州5大リーグはもちろん、その登竜門となる中堅リーグや各国の2~3部クラブで経験を積み、次なるステップを模索する選手も増えている。だが川村にとっては、そもそも海外移籍という選択肢自体、当初のキャリアプランには存在していなかったという。

「海外へ行こうと思ったのは、もうほんと行くことになった1年前とかです。サンフレッチェ広島でずっとやって、ここでキャリアを終えたいっていうのが僕の夢でもあったので、本当に海外に行きたいという考えは全くなかったですね」

 川村がまず語ったのは、古巣・広島への深い愛情だった。「ここでキャリアを終えたい」と本気で思っていたほど思い入れも強かったなか、川村があえて海外に挑戦する決断をした背景には、いくつかの転機があった。そのなかで最初に挙げたのが「日本代表に呼ばれた時」の経験だった。

「1年前ぐらいに、国内組が少ないなか日本代表に呼んでもらえるようになりました。でも呼ばれてもベンチだったり、ベンチ外だったことでいろいろ考えるようになりました。やっぱり選手としては、呼ばれるからには出たいという思いがあります。じゃあどうすればそれが達成できるだろうって考えた時、同じ土俵で戦う。つまり海外の環境で日々戦う必要があるかもしれないと思うようになりました。

 あともう1点は、サンフレッチェで3か月ぐらい勝てない時期があって、その時にどうやったら僕の力でチームを勝たせられるようになるのかずっと考えていました。やっぱりもっと成長しなきゃいけないって。そのためには、代表での経験や、さらに上の舞台で戦うことが必要だと思ったんです。それが自分の成長にもつながるし、いずれチームを勝たせられる存在になる、ということだと。その頃から海外でプレーしたいという気持ちが芽生えてきましたね」

フィジカル面を中心に海外ならではの難しさにも直面してきた【写真:ザルツブルク】
フィジカル面を中心に海外ならではの難しさにも直面してきた【写真:ザルツブルク】

現地でリアルな驚き「日本で感じたことのない部分」

 選手としても人間としても、さらなる成長を遂げ、自分の理想像に近づくため、川村は海を渡りザルツブルクへの移籍を決断した。

 ザルツブルクのインテンシティ(プレー強度)の高さは世界有数で、練習から激しいデュエルが当たり前に繰り広げられている。筆者も何度か練習を見学したが、身体がぶつかり合うバチンという音がグラウンドに響くほど。「インテンシティが高く、競り合いがハード」というのは川村も事前に見聞きしていただろう。だが実際に体験し、リアルな衝撃だったと明かす。

「いや、もうやっぱり全然違いますね。練習からそうですし、試合の時も日本では感じたことのないインテンシティの部分があります。それでもCL(UEFAチャンピオンズリーグ)で戦ったら昨シーズンは苦戦していました。世界の壁というのは、さらに高いんだなというのを感じました」

 また、オーストリア・ブンデスリーガに関しては、川村はこう語る。

「フィジカル面では、やっぱりすごくレベルが高いと感じます。ただテクニックなどの部分では日本のクラブも負けていない。オーストリアだとレッドブル・ザルツブルクを含む、上位2~3クラブはいいクラブだなと思いますが、そこでもやれる日本のクラブはあると思いますね」

 海外でプレーすることの楽しさや喜びはもちろん、想像以上の苦しさや難しさにも直面したこの1年。現地の空気を肌で感じるなか、海外で長くプレーを続けている日本人選手たちへの見方にも変化が生まれたという。
 
「普段から海外の選手たちとバチバチにやっているなかで、怪我をしないで、毎シーズンやれている選手は本当に凄いと思います。日本とは全く違うサッカーですから、本当に。もうラグビーとか、そのくらいハードな当たりの強さを日々体感しています。そのうえで毎週試合を続けながら、怪我をしないでプレーし続けるというのは本当に凄い。さらにゴールやアシストだったり、試合を決めるプレーをし続けているんですから。凄いなと感じます」

海外で感じる自身の成長…「いつか僕もそこでやりたい」の思い

 そして、海外挑戦のきっかけとなった日本代表への思いも、欧州の地でより一層強まっている。

「ザルツブルクでも、世界各国の選ばれた選手たちと日々やれているし、成長を感じています。やっぱり、いつか僕もそこで(日本代表で)やりたい。でも昨年、怪我をたくさんしてしまったので、もちろん代表という思いもありますけど、まずはチームで1年を通して試合に出るというのが今の目標です。その先にいい未来への扉が開けてくると思います」

 ザルツブルクでの激しいインテンシティにも、欧州特有のハードな接触にも順応してきた川村にとって、アメリカ開催のクラブW杯は自身の価値を示す絶好の舞台となるはずだった。コンディションも整い、チーム内での役割も確立しつつあった矢先、初戦を目前に控えた前日練習で膝を負傷。無念の離脱を余儀なくされた。

 その喪失感は計り知れない。しかし川村は、左膝の内側靱帯断裂、右鎖骨骨折という二度の大怪我を乗り越え、シーズン終盤には復帰し、ポジションを奪い返してきた選手だ。今回もまた、必ず戻ってくる。

「いいプレーを、いい姿を見せたい」

 そう話していた川村が、再びピッチで躍動する日を誰もが待ち望んでいる。来季こそ、彼にとって笑顔あふれるシーズンとなるはずだ。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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