膝靱帯断裂→鎖骨骨折…「1年で5大リーグ」白紙 25歳日本人が直面した激動の欧州初挑戦

ザルツブルクの川村拓夢【写真:Getty Images】
ザルツブルクの川村拓夢【写真:Getty Images】

強い決意を胸にオーストリア・ザルツブルクへ移籍した川村拓夢

「1年で5大リーグへ」。強い決意を胸にオーストリアへ渡った川村拓夢を待っていたのは、2度の長期離脱という過酷な現実だった。思い描いたキャリアが白紙になるなか、25歳の日本人MFはリハビリ期間を有効に活用。地道な語学学習で仲間との絆を深め、ひと回り大きくなってピッチへ帰還し、ファンを感動させた。そんな彼に再び訪れた試練――。不屈の男が歩んだ、激動の海外挑戦1年目を振り返る。(取材・文=中野吉之伴/全3回の1回目)

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 幾多の苦難を乗り越えて復活してきた。2024年6月にサンフレッチェ広島からオーストリアのザルツブルクへ移籍し、2028年までの契約書にサイン。チームの期待も大きかったなか、同年7月のプレシーズン中に左膝の内側靱帯を断裂。長期リハビリを耐え抜き、12月4日のハルトベルク戦でようやく新天地デビューを飾った。

 12月10日にはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)リーグフェーズ第6節パリ・サンジェルマン戦に出場し、少しずつ出場時間を伸ばしていた。しかし、2025年2月9日のオーストリア・ブンデスリーガ第17節アウストリア・クラーゲンフル戦で右鎖骨を骨折し、再び長期離脱を余儀なくされることに。この一戦はリーグ戦での初先発だっただけに、なんともやりきれない結果となった。

 そんな川村が5月19日の試合でスタメン復帰を果たすと、続く今季リーグ最終節のラピード・ウィーン戦で見事フル出場を果たし、チームの勝利に貢献。ザルツブルクは最終盤で劇的に2位へ浮上し、来季のCL予選2回戦への出場権を掴み取った。

 そんな激動の1年を、彼はどんな思いで過ごしてきたのだろうか。ザルツブルクの広報を通じてインタビューを依頼したところ、「クラブ・ワールドカップ(クラブW杯)を控えており、シーズン最終節後すぐに10日前後の休暇に入るため対応が難しい。ただ、どこかでできそうなタイミングがあったら優先的に対応しようと思います」との返答。そして実際に、クラブW杯の準備でアメリカに滞在中の合間を縫って、ビデオ電話で話を聞かせてくれたのだった。

南野拓実に「いろいろ聞きましたね」 希望に満ちた決断もまさかの事態

 どんな選手であっても、海外1年目は多かれ少なかれワクワクとドキドキが入り交じるなかでのスタートとなる。川村にとっても、それは例外ではなかった。

 代理人を通じていくつか話があるなか、「南野拓実君には直接電話をして、レッドブル・ザルツブルクについていろいろ聞きましたね」と振り返る。そして「海外1年目に選ぶクラブとして、すごくいいんじゃないかと思って、選択しました」と、希望に満ちた決断だった。

「僕の中では、1年ザルツブルクでやってすぐに欧州5大リーグへ、というのを目指していました。ワールドカップが移籍の2年後(2026年)だったので、そこに出るためにはここで1年やってすぐに次のステップに進みたいという思いはありましたね」

 そんな強い決意を胸に海を渡り、少しずつチームに馴染み始めていた矢先、彼を襲ったのが膝の重傷だった。思い描いていたキャリア設計が一度白紙になるほどの出来事。心の整理をつけ、立ち込めた暗雲を振り払うには、それなりの時間が必要だったという。

「そこはもう、本当にすごく難しかったですね。3~4か月の怪我を2回してしまった。アンラッキーな怪我ではあったので、もどかしさもありました。やっぱり怪我した瞬間やそのあとしばらくは引きずることもありました。でも、リハビリするにあたって、その気持ちのままだとどうしても前には進めないというのは分かっていた。だからリハビリが始まってからですかね。上手く気持ちを切り替えられたのは」

 大怪我を負った選手が「これまでより強くなって戻ってくる」と語る姿に、メディアやファンは拍手を送る。だが実際には、それまで当たり前にできていたことができなくなる現実を受け入れるのは、決して容易ではない。それでも川村は、自らの強い意志で何度も立ち上がってきたのだ。その姿には、自然とリスペクトの念を抱かずにはいられない。

「もちろんチームのリハビリ施設でもやりましたけど、ザルツブルクにはレッドブルグループのトレーニングセンターがあるんです。本当に素晴らしい環境で、素晴らしいスタッフに見てもらえたのは大きかったですね。それに、リハビリ期間中は空いた時間にひたすら英語を勉強していました。今でも英語は、週6回レッスンを受けています」

北野颯太(右)とチームメイトのコミュニケーションもサポートしている【写真:ザルツブルク】
北野颯太(右)とチームメイトのコミュニケーションもサポートしている【写真:ザルツブルク】

チームメイトとの関係良好「ジョークを言ったりできるくらい」

 ザルツブルクを率いるのは、ボーフムでも指揮を執ったドイツ人のトーマス・レッシュ監督。ミーティングなどチーム内のコミュニケーションは基本的にドイツ語で行われる。

「ドイツ語はまだまだです。難しいし、大変です」と語る川村だが、英語でチームメイトやコーチとしっかり意思疎通を図り、内容の理解にも問題はないという。

「英語はもう、だいたい言っていることは理解できます。こっちにきて1年くらい経って、ジョークを言ったりできるくらいにはなってきました。本当に僕は英語ゼロのところからスタートだったので、最初からチームメイトが僕を理解しようとしてくれているのがありがたかったですね。ちょっとブラックなジョークを言っても、みんな笑ってくれる。今度新しく北野(颯太)選手が来ましたけど、彼はちょうど1年前の僕と同じような状況なので、『分からないことがあったら訳して、チームメイトに伝えてくれ』と頼まれていまして。そういうことが今やれているので、英語は結構上達してきた実感があります」

 チームメイトとの関係も良好だ。インタビュー中には、茶化しに顔を出す選手もいるほどで、チーム全体に明るい雰囲気が漂い、広報やスタッフも親身にサポートしてくれている。それは川村の人柄や、言語も含めて学ぶ努力による部分も大きいが、これまでにザルツブルクで活躍してきた日本人選手の存在が築いてきた信頼も、確実にプラスに働いている。

「それこそ(南野)拓実(タクミ)君がいたこともあり、自分の名前も『拓夢』(タクム)で名前が似ているので、すぐに『タキ』というニックネームで呼ばれるようになりました。そういうところでも、これまでここで活躍してきた日本人選手たちの存在の大きさを感じますね」

 精神的にも厳しいリハビリ期間を、川村は決して無駄にはしなかった。時間を有効に使い、英語力を磨き、自分と向き合い続けてきた姿に、海外挑戦に懸ける強い覚悟がにじみ出ている。

 そんななかで迎えたクラブW杯。開催地アメリカでの初戦を目前にして再び膝を負傷し、またしても離脱を余儀なくされたのは、あまりにも悔しい出来事だった。しかし、これまで何度も困難を乗り越えてきた川村ならば、きっと今回も前を向いて歩んでくれる――そう信じずにはいられない。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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