託された“伝統の背番号10” 小川航基に憧れた小学生…バスケ辞め「サッカーやりたい」

桐光学園の倉持慶太「水色のユニフォームに袖を通すのはいつもワクワクします」
3大会連続17回目のインターハイ出場を決めた神奈川県の桐光学園。中村俊輔、西川潤(サガン鳥栖)、山市秀翔(早稲田大、川崎フロンターレ内定)らが背負ってきた背番号10を引き継いだMF倉持慶太が、日大藤沢との準々決勝、市立橘との準決勝の大一番で2試合連続の決勝ゴールを叩き出し、チームを全国に導いた(神奈川県はファイナリストの2校がインターハイ出場)。
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日大藤沢戦はスコアレスで迎えた延長後半5分に、右サイドを突破したMF山田留偉のクロスに飛び込んでドンピシャのヘディングシュートを叩き込み、市立橘戦はMF松岡奏友のパスに抜け出して冷静に右足で突き刺した。
倉持の特徴はポジショニングの良さと一瞬の駆け引きのうまさ。華麗なドリブルで交わしていくようなタイプではないが、「ここにいて欲しい」というところにいて、シンプルにプレーするところ、ためを作るところ、そして3人目の動きでペナルティーボックスに入っていくスプリントとクロスに合わせるセンスは、チームの攻撃の大きなアクセントになっている。
「僕は技術とかではなくて、スピードを落とさずにつなぐプレーだったり、フィニッシュの精度だったり、チームのベクトルを前に向けるプレーで貢献しようと思っています」
こう語る倉持が桐光学園に来たのは、8歳年上の兄の影響が大きかった。小学2年生まで彼は兄が打ち込んでいたサッカーではなく、バスケットをやっていた。しかし、ちょうど2年生のときに兄が桐光学園に進学し、1年生ながら出番を掴んだ兄の勇姿を観に行った際に背番号9の長身ストライカーに目を奪われた。
「小川航基さんの存在感が凄まじくて、一気に憧れの存在となりました。僕も水色のユニフォームを着て、9番をつけてサッカーをやりたいと思ってサッカーに興味を抱いたんです」
彼はすぐに行動に移し、3年生になると地元のサッカー少年団に入り、サッカーに夢中になった。
兄は高校3年生になると9番を背負い、スピードアタッカーとして活躍。「あの小川選手の番号を引き継いでいて凄いと思ったし、より僕もそうなりたいと思うようになりました」と大きな刺激を受け、強烈な向上心とともにメキメキと頭角を現していった。
中学は兄も所属した東京の強豪・SOLTILO TOKYO FCでプレーし、中学3年生になると複数の強豪校に興味を持たれる存在となったが、「桐光学園の一択でした」と早い段階で桐光学園を希望し、練習会に参加をして合格を勝ち取った。
「水色のユニフォームに袖を通すのはいつもワクワクしますし、それを着るからには責任感も大きいと常に感じています」
兄同様に早くから出番を掴むと、前述したとおり、今年はキャプテンマークと10番を託された。
「正直、最初は自分が10番だとは思っていませんでした。歴代の10番の選手を見ても、僕よりもはるかにテクニックがあるし、流れを作り出せる選手たちばかり。それに9番に憧れていたのもあって、『9番がいいな』とずっと思っていましたから(笑)。
でも10番とキャプテンという立場を与えてもらえたのは、それだけ鈴木勝大監督などの周りに期待を寄せてもらっている証拠だと思いますし、背負った以上はどんな状況でもチームを支えて、前への勢いを出せる選手にならないといけない。責任をより感じますが、ワクワクする気持ちは今も変わりません」
小川や兄の背中を食い入るように見つめたあの頃と全く変わらない目の輝きを持って。倉持慶太はスカイブルーのユニフォームに誇りを持って、ひたすらゴールに向かって走って行く。
(FOOTBALL ZONE編集部)