「俺と付き合ってくれ」「うん」19歳で決めた結婚 恐怖で無言…久保竜彦との初デート

久保竜彦氏が人生を変えた2つの出会いについて話してくれた【写真:中野香代】
久保竜彦氏が人生を変えた2つの出会いについて話してくれた【写真:中野香代】

久保竜彦を変えた2つの出会い、サッカー部の吉浦茂和監督と妻の佳奈子さん

「久保竜彦はきっと、世界を驚かせることになる」

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 2006年ワールドカップを前に、当時の日本代表監督であるジーコがこんな言葉で期待したほどのストライカーは、以前も書いたように筑陽学園高時代は全くの無名だった。ただ高校時代に彼は、重要な人物と出会っている。(取材・文=中野和也)

   ◇   ◇   ◇

 1人は、サッカー部監督の吉浦茂和氏。彼は久保の巨大な才能を見て、また彼の性格を考えて、彼にサッカーの細かい部分をあえて、教えなかった。

「先生には、挨拶とか礼儀とかを厳しく教えてもらいました。あと、手を抜かないっていうこと。ただ、(先生の目を盗んで)めっちゃ抜いてたけど(笑)。サッカーを教えてもらったことで1番覚えてるのは、身体の向きとか角度とか。あとヘディングは絶対練習しとけってずっと言われました」

 ディエゴ・マラドーナに憧れていた久保少年は正直、ヘディングは好きではなかった。しかし、ヘディング練習だけは厳しく指示されていたため、仕方なく。そのトレーニングがプロ入り後、大きな成果となって花開くことになる。

「ただ、当時の俺は、そんなに大した選手ではなかった。武器がないっていうか……。2年のときに国体の福岡県代表に選出されてはいたけれど、特に目立った選手ではなかったですね。俺よりもむしろ、(同級生の)大場啓の方がすごかった」

 当時の福岡県には、小島宏美や山下芳輝といった東福岡高の「スター」たちがまばゆい輝きを見せていた時代。彼らよりも一つ上の久保に注目する人は、ほとんどいなかった。

 だからこそ、吉浦監督の「慧眼」は光る。喧嘩上等の久保少年に人として生きていくための礼儀を教え込み、細かいことを抜きにしてヘディングだけを徹底的に練習させた。もし当時の彼に、サッカーエリートのような細かさで教え込んでも難しいとの判断だったはずである。

 その上で吉浦監督は旧知だったサンフレッチェ広島の中村重和スカウト(当時)に「面白い素材がいるから、見てほしい」と推薦。それが、無名の久保少年がプロの入口に立つきっかけとなったのだ。

 もう1人の大切な人物とは、後に彼の伴侶となる佳奈子さんとの出会いである。佳奈子さんと久保竜彦は、1年生のときに同じクラスで過ごした同級生だった。

「当時から異様な存在感がありましたね。ただ、ほとんど話したことはなかった。女の子と話すようなタイプではなかったし、いつもブスっとしていて、何を考えているのかわかんなかったし、授業中は寝てるし(笑)」

 テストはほとんどカンニングで乗り切った久保は、佳奈子さんの友だちにも「答案を見せてくれ」と頼んでいたという。型破りで、無愛想で、優しさを表に出さない久保竜彦に対して、佳奈子さんはバレンタインデーにプレゼントを贈った。1年生のとき、彼女にとって生まれて初めてとなる手作りのチョコレートを。

「やっぱり、好きだったんだと思います。ただ、彼の方からは『ありがとう』以外は何のリアクションもなかったんですよね。もちろん、そういう人だろうなってわかっていたし、期待もしていなかったんですけど」

 2年生になってからはクラスも別になり、自然と関係は疎遠になる。佳奈子さんは他に付き合った男の子がいるわけでもなく、吹奏楽部でフルートを吹いていた。サッカー部で活躍していた久保とは違う世界にいるような感覚だった。

 しかし物語は高校3年の冬に突然、動き出す。

 彼はサンフレッチェ広島への「就職」が決まり、彼女も福岡で就職が決まった。本当の意味で別世界の住人になろうとした3学期のある日のこと。帰宅しようと思った佳奈子さんを下駄箱のところで待ち伏せしていた少年がいた。同じクラスのサッカー部員だった彼に言われるまま、佳奈子さんは近くの公園に。

 そこにいたのが、久保竜彦だった。

「1月の、とても寒い日だったことは、覚えています」

 久保は唐突に言葉を発した。

「俺と付き合ってくれ」
「うん」

 即答だった。

「実はそれまでも、男の子に告白されたことはあったんです。でも『ごめんなさい』って言っていました。きっと、ずっと好きだったんでしょうね。気になっていたというか。学校で見かけたら、意識してしまったり。なんか……、男らしさを感じたんです。女の子とは口を利かないところとか。サッカーだけに賭けている感じもして」

 初デートは久留米の映画館。「インタビュー・ウィズ・バンパイア」を見に行った2人は、ずっと無言。久保から話しかけることはなく、佳奈子さんは、久保が怖くて話しかけることもできなかった。帰りもほとんど話すことなく、食事もせずにそのまま帰宅した。その1週間後、彼は広島へと旅立った。遠距離恋愛のスタートだ。

 だが、そこからほとんど、2人は会っていない。たまに電話がかかってきたりはするものの、いつしか全く会えなくなった。

「電話もしていたんですけど、当時の彼は独身寮に住んでいて(かけづらくて)。携帯電話も持っていないし、なかなかこちらから連絡が取りづらかったんです。手紙も書いたけれど、もちろん返事はないし(苦笑)」

 佳奈子さんの方から広島に行きたくても、とても言える雰囲気ではなかった。久保にしても、寮生活のなかでなかなか「会いたい」とも言いづらかったし、シーズン中は帰省する時間もとれない。

 会えない時期が7か月も続き、「もう私たちは終わってしまったのかな」と彼女が感じ始めたクリスマスの頃、彼から突然、「帰ってくるけん」と連絡があった。食事もして、関係を確かめた2人は翌年、結婚を決意する。

「彼がサンフレッチェのレギュラーだったかどうかも知らなかったけれど、サッカー選手の現役生活がそんなに長くはないことは、知っていました。でも私は、結婚するならこの人しかいないって、決めていたから」

 2人が19歳のときに決めた結婚。そしてこの結婚こそ、久保竜彦という野生児がプロのサッカー選手として大成する、大きなターニングポイントとなるのであった。

(中野和也 / Kazuya Nakano)



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