無名→強豪校主力「こんな選手が」 選手権ではメガホン…Cチームから這い上がった逸材

前橋育英のセンターバック・市川劉星【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
前橋育英のセンターバック・市川劉星【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

前橋育英の市川劉星、選手権メンバー外も「自分にもチャンスが来ると思えた」

 昨年度の選手権優勝校・前橋育英。多くの1、2年生が昨年から出番を掴み、絶対的な主軸となっているチームは、今年も全国トップクラスの実力を持つと評され、高円宮杯プレミアリーグEASTでも3位の好位置に付けている。

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 FW大岡航未、平林尊琉、MF白井誠也、竹ノ谷優駕、柴野快仁、DF瀧口眞大、久保遥夢、牧野奨。選手権決勝の6万人の観衆のなかで国立のピッチに立った選手たちが揃うなか、これまで全く無名だった背番号4のCB市川劉星の存在に目を引いた。

 昨年はプレミアにもプリンスにも出ていなかった3年生CBは、181センチのサイズと左利きという希少価値を持ち、屈強なフィジカルを駆使した気迫のディフェンスと左足の鋭い対角のキック。「こんな選手がいたのか」と思わせるほどハイレベルだった。

 プレミア第5節の流通経済大柏戦では、降りしきる雨のなか、圧倒的な圧力をかけてくる相手に対して気迫で跳ね返し、最後まで声を張り上げて戦う気持ちを見せ、第7節の川崎フロンターレU-18戦ではボールを素早く動かしてくる相手に対し、久保と絶妙なチャレンジ&カバーを披露し、大きな綻びは与えなかった。

「入学直後はトップチームに上がることができたのですが、全然通用しなくて、すぐにルーキーリーグに回り、2年生ではCチームにいました」

 中学時代は東大阪市のFCマレッサでプレーし、一般セレクションを経て前橋育英にやってきた。サイズのある左利きCBとしての期待は大きく、入学直前の3月の船橋招待にも帯同した。

 そこからエリート街道を歩き出すと思われたが、彼が言うようにレベルの高さに順応できず、1年生のリーグであるルーキーリーグでプレーし、2年生になるとCチームのメンバーとして群馬県1部リーグを戦っていた。そして、その年の4月末に左足の第5中足骨を骨折し、半年間の離脱を余儀なくされた。

 復帰したのは10月。復帰戦は県1部リーグだった。選手権のメンバーからも漏れ、ようやくプリンスリーグ関東2部を戦うBチームに引き上げられたが、プリンスでの出番はなし。選手権はスタンドでメガホンを持って応援することしかできなかった。

「僕にとって高校2年生の1年間は重要な時間だった。怪我でほぼプレーできない、復帰してもトップが遠いと言う現状は苦しかったですが、その間に自分と向き合うことができた。僕の武器はフィジカル。そこを徹底してきたようと、アウターだけではなく、インナーマッスルや走り方にも目を向けて、いろいろ取り組みました。復帰してからもそれを継続して、『来年は絶対にトップで活躍する』と自分に言い聞かせていました」

 苦しみながらも前向きに過ごせたのは、希望の光があったからだった。

「昨年のレギュラー4バックは左CBだけが3年生(鈴木陽)だったので、僕以外に左利きのCBはいなかったので、自分にもチャンスが来ると思えたんです」

 努力とその目論見が的中し、彼は新チームになると左CBの不動のレギュラーとなった。

「結果を残したい気持ちが強いです。応援してくれる親やお世話になった小学校、中学校の監督などへの恩返しがまだできていないので」

 前橋育英へのチャレンジを後押ししてくれた人たちが大阪にいる。中学3年生のとき、彼のもとには関西、中国地区の名だたる強豪校からオファーが届いていた。そのなかに前橋育英の名前はなかった。

「高校でサッカーをやるなら前橋育英しか考えていなかったんです。もともと中学進学の段階でJジュニアユースなどに行きたかったのですが、FCマレッサの監督に『中学で選手としても人間としても土台をきちんと作ってから高校でチャレンジした方がいい』と言われて進んだので、高校はトップレベルにチャレンジをしたかった。そのなかでパスを回しながらロングボールを効果的に使うサッカーにすごく感銘したし、全国優勝経験があって、プレミアリーグを戦うなど結果を出している前橋育英に行こうと決めました」

 すでにオファーをもらっていた5校に断りを入れてから、前橋育英のセレクションに自ら応募した。セレクションの結果を待ってからという選択肢もあったが、彼は「中途半端なことはしたくなかった。もし育英がダメだったら、サッカーをやめてもう1つの夢に向かって進むつもりだった」と腹を括っていた。

 2022年7月9日、セレクションには市川を含め、100人ほどの中学生が全国から集結した。ゲーム形式のトレーニングをこなした後、大阪に帰ると8月に入ってFCマレッサの監督のもとに「もう一度練習会に来てほしい」と連絡が入った。

 1回目と2回目の間に前橋育英はインターハイ優勝をなし遂げたことで、入学のハードルはさらに上がったが、信念を貫いた結果、ついに念願の推薦オファーが届いた。

「落ちたらどうしようという考えは一切なくて、絶対に受かってやるということしか考えていなかった」

 周りの人たちの後押しと、彼の硬い意思。これがあったからこそ、入学してからの試練に対してもポジティブに捉えて努力を重ねることができた。そして、最後の1年で掴み取った背番号4。

「4番はCBとして重要な番号なので、恥じないプレーをしたいと思っています。それに試合には出られていますが、スタメンのなかで選手権未経験メンバーなのはGK南京佑とMF瀬間飛結の3人だけ。3年生でいったら僕だけなので、まだまだみんなを追いかけている段階。初心を忘れないで食らいついていきたいと思っています」

 タイガー軍団のプライドと這い上がってきた意地を胸に、無名のファイターが表現する恩返しの1年は、彼自身にとっても生涯忘れられない熱い1年になるだろう。

(FOOTBALL ZONE編集部)

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