到着までビザ不発給、空港足止め、入国審査官が機材破壊…記者もトラブル続きのサウジACLE

AFCの不公平な発表
AFCチャンピオンズリーグが大会のフォーマットを変え、AFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)として実施された初回大会が終わった。川崎フロンターレは、決勝でアル・アハリ(サウジアラビア)に0-2で敗れて準優勝に終わったが、堂々たる戦いを見せた。現地で取材した川崎の番記者が“中立地開催”として行われた大会を振り返った。(取材・文=江藤 高志/全3回の1回目)
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ACLEは準々決勝からの7試合をACLEファイナルズと命名し、サウジアラビア第2の都市ジェッダで集中開催。ACLEについては秋春制で実施。ACLE初回大会は2024年と25年にまたがって行われた。
今大会から東西それぞれ12クラブずつがリーグステージに進出。リーグステージでは同一国のクラブとの対戦を回避しつつ、12チーム中、8チームと対戦するスイス方式と呼ばれる方式で、東西それぞれ上位8チームずつがリーグステージを勝ち上がる方式で行われた。
Jリーグ勢が組み込まれた東地区に関しては、リーグステージ最終節の8試合目に中国から参加の山東泰山が大会からの撤退を発表。その結果、レギュレーションに記載のあるとおり、リーグステージ全ての試合結果が抹消され、山東泰山戦で手にした勝ち点が抹消されるという理不尽な裁定が下ることに。この影響を最も受けたのがヴィッセル神戸で、ホーム&アウェーで行われるラウンド16第2戦のホーム開催権を失い、結果的に韓国の光州に敗れることとなった。
ACLEファイナルズについては準々決勝から東西が対戦する方式で組み合わせ抽選が2025年3月17日行われたが、この抽選会4日前の3月13日にAFCが抽選会についてのリリースを発表。レギュレーションになかったシード権の概念が発生。また準々決勝の試合日が1日増え、4月27日という試合日が設定されることになった。レギュレーションには無かったこの二つの条件が発生した結果、サウジアラビアのアル・ヒラルが東西合わせての第一シードを獲得。東地区首位の横浜FMが第二シードに入ることとなった。
組み合わせ抽選会直前のこの発表の理不尽さは、第1シードのアル・ヒラルが組み込まれた4月25日の準々決勝第1試合を戦うチームは、準々決勝勝利後の準決勝と決勝をいずれも中3日の試合間隔で行える点にある。その一方で、4月27日の準々決勝第4試合に割り当てられたチームは、準決勝、決勝をいずれも中2日で戦う必要があるということ。そこに川崎フロンターレが割り当てられることとなった。
チャーター便と、トラブル続きの入国
レギュレーションの変更が相次いだACLEファイナルズへの参加に際し、Jリーグが主体となり、Jリーグ加盟全60クラブが賛成してチャーター便の運行が決定。川崎と横浜FMの両チームがこれを利用することになった。
今回は事前に取材申請し、手配を進めていた報道陣の中から希望者に対しチャーター便への同乗が許可され、その一人として参加させてもらうこととなった。なお、川崎の取材者として搭乗したのは4名の取材陣だった。
チャーター便については快適で、エアバス社のA350-1000という機材が使われており、選手が優先して割り当てられたビジネスクラス以外の搭乗者はそれぞれ一人3席が割り当てられており、快適に過ごすことができた。また毛布も通常のエコノミークラスでは見たことのないような厚手の立派なものが用意されていた。
日本からはサウジアラビアのジェッダへの直行便は設定がないが、この区間を夜間の飛行で直接乗り入れることになった。チャーター便は夜20時に成田空港を出発。翌朝午前4時ごろにジェッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港のプライベートターミナルに到着。早朝にもかかわらず歌と踊りの歓迎を受け、入国となった。
なお、報道陣については出発の1か月ほど前から、指定のフォーマットで報道ビザの申請を行っていたが、最後までビザが降りず。到着ターミナルでカード決済により観光ビザの発給を受けて入国に至った。このトラブルに関連して、カメラマンや動画撮影チームの機材一式の申請書類が入国審査を行うプライベートターミナルに届いておらず、5時間ほど足止めされることに。さらには入国審査官が機材を投げ捨てるという愚行を行い、高価な機材が破損するという物的な被害も受けてしまった。
ビザにしても、持ち込み機材の確認もできていなかった点は、ACLEだけでなく、今後アジアカップ、ワールドカップといった国際大会を開催できるのかいささか心配になった。到着ターミナルで、お茶とデーツを振る舞い、観光局のQRコード付きベストを着用し、歌い踊る歓迎でチームを出迎えていれば全て丸く収まる訳ではないということは明記しておきたい。
(江藤高志 / Takashi Eto)

江藤高志
えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。