白血病で亡くなった弟…電車で片道2時間半「泣いて帰った」 スカウト熱視線の日大エース

日本大学3年生の平尾勇人「弟はサッカーどころか学校にすら行けなかった」
4月22日に開催されたJFA/Jリーグポストユースマッチ・U-22 Jリーグ選抜vs関東大学選抜の一戦。Jリーグの若手選手の実戦経験の創出・強化が目的で行われたこの試合で、プロを相手にもずっと変わらぬプレースタイルを貫いている選手がいた。
日本大学の3年生FW平尾勇人は178センチのサイズと屈強なフィジカル、そしてどこまでも献身的なプレーで攻守においてチームに貢献し続けるストライカーだ。前線からボールを2度追い、3度追いし、クリアボールに対して身体を投げうつこともある。相手を背負いながらボールを収め、複数に囲まれても身体を張ってキープし、周りのアタッカーにパスを配ったり、ときには強引に突破をしてゴールに迫ったりもする。まさに泥臭さ全開のストライカーと言えよう。
「僕は小学校の頃からずっとこのスタイルです。変えるつもりはないし、ガムシャラにチームのために、ゴールを奪うために全力でプレーすることは当たり前のことだと思っています」
彼が自分のプレースタイルにここまで強い信念を持っているのには理由があった。
「僕には3歳年下の弟がいたんです。僕がサッカーにのめり込んでいる姿を見て、『僕もやりたい』と言って、幼稚園の頃によく家の前でボールを蹴っていました。でも、弟が3歳になったときに高熱を出して、検査をしたら急性リンパ性白血病と診断されて……」
両親や姉がショックを受けている姿を見て、まだ幼かった平尾もすぐに状況を把握した。そして長い闘病生活を経て、平尾が小学5年生のときに弟は8歳という短い生涯を終えることになった。弟の命日は平尾の誕生日でもあった――。
「毎日のようにサッカーができることは本当に当たり前じゃない。弟はサッカーどころか学校にすら行けなかった。『学校に行きたい、サッカーをしたい』と泣きながら弟が言っていたと家族から聞いたときは、『変わってあげたい』と思っていました。だからこそ、僕はサッカーをどんなことがあっても続けたいし、弟が生きるか死ぬかの本気の戦いのなかで、努力をする姿を、命をかけて見せてくれたからこそ、僕は最後まで諦めない姿勢と泥臭くプレーし続けることをやめてはいけないと強く思いました」
中学生時代はセレッソ大阪U-15のセレクションを突破して加入した。実家のある三重県名張市から練習場のある舞洲までは片道2時間半もかかったが、彼は3年間ずっと通い続けた。
中学の授業が終わってすぐに舞洲に向かっても、着くのは練習開始ギリギリ。練習が終わって、食堂で夕食をとってから帰ると、家に着くのは0時頃。加えて、中学3年生の夏までレギュラーを掴めず、ベンチを温める日々。
「電車のなかで2時間半ずっと泣いて帰ったときもありました」と悔しさと不甲斐なさで一杯になることもあったが、それでも弟がやりたかったサッカーを投げ出したり、不貞腐れたりすることは彼にとってはありえないことだった。
「サッカーができるだけで幸せだ」
こう心の底から思い、努力を重ねた結果、夏の全国大会である日本クラブユース選手権(通称・クラセン)で大きなチャンスが巡ってきた。1学年下でレギュラーFWの千葉大舞(流通経済大)がクラセンに出られなかったことで、サブだった平尾は1トップとしてスタメンに抜擢されたのだった。
北野颯太(セレッソ大阪)と共に攻撃を牽引すると、5ゴールをマークして決勝進出の原動力となった。決勝ではサガン鳥栖U-15に敗れたが、平尾は大会優秀選手に選ばれ、『ジュニアユース年代のオールスター戦』と呼ばれるメニコンカップにも出場した。
ユースには昇格できなかったが、中2の段階から熱烈オファーをくれていた地元の強豪・四日市中央工業高に進学をした。
「チャンスはいきなりやってくることと、そのチャンスを逃さないために常に準備をしておかないといけない大切さを学びました」
日々の努力と泥臭さに磨きをかけた平尾は、高校ですぐに頭角を現し、高校2年生から小倉隆史らが背負った四中工の伝統的なエースナンバー17番を託され、エースストライカーとして君臨した。
「中3の時に17番を背負って、最初は補欠という意味での番号だと思っていたのですが、そこから夏にレギュラーを掴んで、メニコンカップ、最後の高円宮杯(U-15)全日本ユースにも出ることができて、僕のなかでは悔しさと喜びがたくさん詰まった大切な番号になりました。四中工に入学してすぐにエースナンバーが17と聞いた時は嬉しかったですし、絶対に背負いたいと思って、よりサッカーに打ち込むことができた。今も大切な番号です」
日大では昨年から17番を背負い、不動のエースとして躍動をし続けており、プロのスカウトからも熱視線を浴びる存在となっている。
「今季は関東1部で2桁ゴール、2桁アシストを狙っています。でも、自分の結果よりもチームの勝利のためにやっていきたいのが一番です。チームのために走って、献身的なプレーをすることで最終的に自分のところに返って来ると思うので、頑張っていきたいです」
毎年1月6日になると自分の現在地、そして情熱と信念を見つめ直すという。それを積み重ね続けてきたことで、彼は情熱的なストライカーとしてグングン成長を遂げている。これからもサッカーができる幸せを噛みしめながら、平尾は17番と共にピッチに立つ。
(FOOTBALL ZONE編集部)