久保だけ取材禁止…見かねた17歳対応に驚き「気を遣える」 思わず疑った“8年前の振る舞い”【コラム】
逆境でもブレず…長友に相通じる菅原由勢の資質
2024年の森保ジャパンの活動が11月19日の中国戦(厦門)で終わった。今年は1~2月のアジアカップ(カタール)でベスト8敗退というショッキングなスタートを余儀なくされたが、そこから立ち直りを見せ、6月以降は3バック導入。これが攻撃活性化の起爆剤になり、9月から始まった2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選は5勝1分の無敗という快進撃を見せつけた。
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「アジアカップで結果が出なかったことで、苦い思いやふがいなさを選手たちが感じたし、あれが糧になっているから、彼らは絶対に力を抜かない」と中国戦後に取材に応じた日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長もチームの大きな成長を感じ取っている様子だった。
チームがV字回復した大きな要因の1つが、38歳・長友佑都(FC東京)の代表復帰だろう。
3月シリーズから戻ってきた大ベテランは常に闘争心を前面に押し出し、大きな声を出してチームを盛り上げ、前向きなマインドを注入してきた。左ウイングバック(WB)としては三笘薫(ブライトン)、中村敬斗(スタッド・ランス)、前田大然(セルティック)に続く4番手という位置づけで、公式戦である6月以降の8試合はベンチ外が続いているが、本人は「必ずチャンスが来る」と諦めることなく2年後の大舞台を見据えている。
決してブレることのない姿に刺激を受けた選手の筆頭が、菅原由勢(サウサンプトン)ではないか。
菅原もアジアカップ序盤までは右サイドバック(SB)の絶対的レギュラーだったが、予期せぬ不振に陥り、毎熊晟矢(AZ)に定位置を奪われる屈辱を味わった。その後、3月から気持ちを切り替えて再出発したが、日本代表の3バック移行によって本職の右SBというポジションが失われ、堂安律(フライブルク)、伊東純也(スタッド・ランス)に続く右WBの3番手という位置づけに。結果として出番なしの状況が続くことになった。
「僕がプレミア(リーグ)に行ったから代表に出られる確約はもちろんないし、森保監督もどういう選手を使ってゲームを組み立てるかを常に考えている。そういう中で、僕に限らず、自チームで出ていても代表で出られない選手は多いと思います。それでもみんなすごくモチベーションが高い。出た時に自分の価値を証明しようという気持ちを僕も持っていますし、そういう悔しさを持っていなければ選手としてダメですよね」と本人は自分を懸命に鼓舞していたが、本音の部分では葛藤の連続だったに違いない。
その鬱憤を晴らしたのが、インドネシア戦の4点目だ。途中出場ながら豪快な一撃を決めただけでなく、プレミア仕込みの推進力と強度もアピール。堂安、伊東と十分にポジション争いできるだけの底力を示したのだ。
「自分に対して苛立ちというか、ほかの人に矢印を向けそうな時もありました」と偽らざる胸中を吐露したが、よくここまで耐えて耐えて結果を出すところまで持っていった。チームの誰もが頭の下がる思いを抱いたはずだ。
「苦しい状況の中でそれを乗り越えるとまた1つ花開くということを彼はみんなに示したし、あれだけみんなが喜んだのは彼の人間性だと思う。練習中に腐っていたり、文句を言っていたりしたら、点を取った時に誰も寄ってこなかった。前向きにポジティブにやっている者の姿は心に響くし、自然と人が集まってくる。それを彼が体現したと思います」と長友も心からの敬意を示していた。
長友「似たものを感じますね」…菅原と姿を重ね合わせたベテラン
そこで、筆者が「彼は長友君の後継者になれるのでは?」と水を向けると、「由勢、頑張ってほしいですね。僕の後継者っていうのはなかなか簡単ではないですよ。こんなぶっ飛んでいて癖のあるやつはなかなかいないので」と笑顔で釘を刺しつつ、「彼は自分に似たものを感じますね」と認めるような発言をしたのである。
実際、今のチームを見渡すと、長友の後継者になりそうな資質を持つのは確かに菅原しかいない。まずSB・WBというポジションが同じだし、性格的にも常に明るく前向きで社交的、かつコミュニケーション力が高い。菅原がいるだけで周りが笑顔になる。そんな人間性も大先輩と共通しているのだ。
菅原のそういったキャラクターは、森山佳郎監督(現ベガルタ仙台)の下でU-15日本代表に抜擢された頃から全く変わっていない。忘れもしないのが、2016年9月のU-16アジア選手権(インド)での立ち振る舞いだ。
当時のチームには谷晃生(町田)、瀬古歩夢(グラスホッパー)、中村敬斗、久保建英(レアル・ソシエダ)という現在のA代表メンバーもいたのだが、バルセロナ帰りの久保の注目度があまりにも高く、森山監督もJFAスタッフもナーバスになっていた。そこでとられたのが、練習取材は久保だけ禁止、試合後も短時間のみという異例の対応。数少ない取材陣は大いに困惑していた。
そんな我々の様子を察して、事あるごとにやってきてはユーモア交えて話をしてくれたのが、菅原だった。試合後には試合分析やチームの収穫や課題などを的確に説明し、相手が年齢の離れた大人でも全く動じない様子を見せつけた。その社交性とオープンマインドには驚かされるばかりだった。長友もかつて「世界コミュニケーション選手権があったら優勝できる」と冗談交じり語っていたが、決勝戦は長友対菅原になってもおかしくないくらいだろう。
2年後の2018年春。Jリーグデビューした頃にインドでの対応を感謝すると「全然、大丈夫ですよ。あの時は大変でしたね」と菅原は逆にこちらを労ってくれて、「17歳の高校生がここまで気を遣えるのか」と驚かされた記憶がある。それをサラッとやってしまうから、彼は誰からも愛されるのだ。
だからと言って、厳しさや激しさ、毅然とした対応がないわけではない。2019年夏から6シーズンも欧州でしのぎを削っていれば、時には意見のぶつかり合いやバトルもあったはず。そんな経験から、日本代表でも必要があれば強気の発言ができるはず。そういう骨のあるところも長友に相通じるものがある。
森保ジャパンでの立場確立に求められるW杯での活躍
もちろんプレーヤーとしての実績も十分だ。今夏赴いたプレミアリーグでは開幕から右WBのレギュラーを確保し、試合に出続けているのだから、そのキャリアは堂安や伊東に見劣りしない。自分にもっと自信を持っていいのだ。
本当の意味で菅原が長友の後継者になるためには、ここから代表でレギュラーに上り詰め、絶対的中心になることが強く求められる。2022年カタールW杯経験者への絶大な信頼を寄せる森保監督の序列を覆すのは容易ではないが、2026年W杯までの1年半の間に何とかするしかない。
4度のW杯の舞台に立ち、代表キャップ142試合という歴代2位の記録を持つ長友に近づこうと思うなら、やはりW杯での活躍は絶対にクリアしなければいけないハードルだ。アジア相手の最終予選は主導権を握れる試合が続くため、攻撃的な堂安や伊東でいいが、相手が強くなれば1対1で守れる人材が必要になる。そこで輝くために、菅原には守備を磨き、その時に備えてほしい。
かつてサミュエル・エトーやフアン・クアドラードを止めた長友が一世を風靡したように、菅原も同じような道を辿るべき。そこに向けてプレミアリーグでの貴重な時間を大事にしてもらいたいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。