2部降格、構想外、引退危機…欧州で味わった壮絶苦悩 元日本代表2人が再会で交わした言葉【コラム】

お互いに途中出場でピッチに立った原口元気と宮市亮【写真:徳原隆元】
お互いに途中出場でピッチに立った原口元気と宮市亮【写真:徳原隆元】

浦和・原口元気と横浜FM・宮市亮がJリーグで対戦、2人の目に見えない絆

 浦和レッズと横浜F・マリノスは、33試合終了時点で同じ勝ち点42とまさかの苦境に直面している。2022-23シーズンAFCチャンピオンズリーグ(ACL)王者と23-24シーズン同ファイナリストのビッグクラブがこの段階でJ1残留を決められない状況に陥るとは、予想だにしなかった事態というしかない。

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 浦和の場合はペア・マティアス・ヘグモ監督率いる新体制で今季をスタートしたが、シーズン途中に酒井宏樹(オークランドFC)、岩尾憲(徳島)、アレクサンダー・ショルツ(アル・ワクラ)、伊藤敦樹(ヘント)といった主力級が相次いで移籍。8月には指揮官が更迭され、昨季クラブをACL制覇へと導いたマチェイ・スコルジャ監督が復帰したものの、その後も停滞感が拭えないまま、ここまで来てしまった。

 一方の横浜も今季はハリー・キューウェル監督率いる新体制で始動したが、ACLこそ勝ち進んだものの、リーグ戦は低迷。7月には指揮官が契約解除となり、ジョン・ハッチンソン・ヘッドコーチが暫定監督に就任。立て直しを図ってきたが、9月以降はJ1、天皇杯、YBCルヴァンカップ、ACLの超過密日程。キャプテンの喜田拓也を筆頭に怪我人も続出し、ルヴァンと天皇杯を準決勝で落とす結果に。J1は8月24日のセレッソ大阪戦から白星が遠のいてしまっている。

 そんな両者が10月30日に日産スタジアムで激突。どちらも勝ち点3をつかもうと貪欲さと泥臭さを前面に押し出したが、結果はスコアレスドロー。シュート数はマリノスが10本と8本の浦和を上回ったが、浦和も前半13分の渡邉凌磨、後半43分のチアゴ・サンタナの2つのゴールがVARで取り消されるなど、あと一歩という印象もあった。

「マリノスがだいぶやり合うチームなので、Jリーグではかなり珍しいオープンなゲームになった。『ちょっと欧州っぽいな』と思って見てましたし、自分が入ってからもブンデス(リーガ)っぽい試合展開だったので、なんとなくやりやすさはあった」と後半18分からピッチに立った原口元気は言う。

 9月の浦和加入後はチーム事情もあってボランチを主戦場にしてきた彼だが、スコルジャ監督とも話し合いを重ね、より前目でのプレーを熱望。今回はトップ下からスタートして、左サイドに移動した。

 ここはかつて彼が一世を風靡したポジション。見る側も大きな期待感を抱いたはずだ。しかし、ドイツでは近年、インサイドハーフなど中盤に入ることの多かった原口がいきなりキレキレのドリブル突破を見せるのは難しい。そのあたりを本人も自覚したうえで、周囲との連携を大事にしながらプレー。後半43分のサンタナの幻のゴールを演出する右の二田理央への大きな展開を披露した。

「相手は4バックで、ウイングの選手が守備にも帰ってこないから、裏が空いている。そこはスカウティング通りでしたね。僕もウイングをやるなら違う体にしていかなきゃいけないし、そこは面白いチャレンジ。入団会見でも言ったけど、アタッカーとしてもう1回やりたいっていうのがあるので、すごく楽しみです」と背番号78は意欲的だった。

 そんな原口にとって、1つ参考になるのが、マリノスで同じ位置に入っていた宮市亮だろう。宮市も今はエウベルや井上健太に代わって途中から出る「ゲームチェンジャー」となっているが、持ち前の爆発的なスピードを武器に局面を打開し、数多くのチャンスを作っている。

「彼も長くザンクトパウリでプレーして、ブンデス2部でもやったし、たくさん怪我をしながらも本当にまだまだスピードがある。今日も危険なボールを放り込んでいたし、必ず攻撃のポイントになっていた。同世代だし、ウイングは歳を取ると難しくなってくるポジションだけど、『30代でもできる』っていうのを見せていけたらいいかなと思います」と原口は宮市の姿から刺激を受けた様子だった。

お互いにブンデスで苦労、2部時代に1度だけ共闘

 1991年生まれの原口と92年生まれの宮市はどちらも10年にわたって欧州でプレー。紆余曲折を味わってきた。が、2人が同じリーグで対戦したのは、19-20シーズンのブンデス2部時代だけだ。

 当時、原口はハノーファーで背番号10を背負っていたが、2018-19シーズンにブンデス1部から2部降格を余儀なくされ、チームをいかにして引き上げるかという難題にもがき苦しんでいた。だが、彼が苦悩したのはこの時だけではない。

 ヘルタ・ベルリン時代はあらゆるポジションで便利屋のように使われ、ハノーファーでは1部昇格請負人になれず、ウニオン・ベルリン時代はボールが頭の上を越えていくスタイルにジレンマを覚えた。そこから脱出すべく2023年2月に赴いたシュツットガルトでは指揮官交代によって事実上の構想外のような扱いを受けた。その苦しみは常人の想像をはるかに超えたものがあったのだ。

 宮市の方も2015-16シーズンから6シーズン、ザンクトパウリに在籍したが、相次ぐ怪我に見舞われ、そのたびに引退危機に直面した。それを懸命の努力で乗り越え、同シーズンはコンスタントにピッチに立っていたが、チームが下位に低迷。結局、1度もブンデス1部のピッチに立つことができなかった。

 異国で壮絶な時間を過ごした者同士であるがゆえに、2人には目に見えない絆のようなものがあるのだろう。

「元気君と対戦するのはドイツ以来。キャリアはもう雲泥の差くらい、彼はすごいキャリアを持っていますし、そういう選手がJリーグに帰ってきて活躍することでリーグも盛り上がる。彼に関しては原口元気として見られる分、よりプレッシャーもかかるし、大変さはあると思いますけど、もともと素晴らしい選手なんで、時間が解決すると思う。ホントに楽しみにしています」と宮市も試合後、ミックスゾーンで原口と会話した後、嬉しそうにこう語っていた。

 宮市が「時間が解決する」という重要なキーワードを口にしたが、欧州から戻ってきた選手はトップフォームを取り戻すまでに足踏みする傾向が強い。日本と欧州のスタイルの相違に加え、ピッチ状態など環境面の違いにも直面するからだ。加えて、宮市が指摘した通りの過度の期待もある。元代表クラスの出戻組の多くがそこに苦しむことになるわけだが、それは宮市と原口も直面していること。お互いに共感できる部分は少なくないはずだ。

 原口には怪我を乗り越え、短時間でもスピードと突破力というストロングを出すことに徹している宮市の姿を参考にしてほしい。今はスタメンで出らない悔しさもあるだろうが、途中からでも攻撃に変化をつけたり、決定機を演出するなど、できることはあるはず。

 それと同時にフィジカル面をブラッシュアップすることも重要だ。本人も認めているように、ウイングとしてやっていくなら、タテのアップダウンを繰り返せるだけの走力とタフさが必要不可欠。それが難しくなるから、30代のアタッカーは中寄りのポジションに移動していくケースが多いのだ。かつての松井大輔(Fリーグ理事長)や乾貴士(清水)もそうだった。

 こうした逆風を跳ねのけることができるのか……。それは本人とチーム次第だ。今の浦和はまずJ1残留を決めることが最優先。原口はそのために、限られた時間の中で目に見える結果を残すことに集中すべきだ。宮市との再会をいいきっかけにしてほしいものである。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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