日本人の無謀な挑戦「本当に勇気ある」 Jクラブから欧州へ…1人の青年が“裏方”で遂げた成功【インタビュー】
ドイツ1部ザンクトパウリで働く神原健太氏…ホペイロ移籍の背景とは?
ドイツ1部ザンクトパウリでホペイロ(用具係)として働く日本人スタッフの神原健太氏。ホペイロとしてドイツのクラブを渡り歩いてきたなか、ドイツ1部クラブへ辿り着くまでにどんな背景があったのか。これまでの歩みについて話を聞いた。(取材・文=中野吉之伴/全4回の1回目)
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ドイツをはじめ、さまざまな国で多くの日本人選手が活躍しているなか、最近は選手だけではなく理学療法士や分析スタッフ、あるいはフロントスタッフとしてプロクラブに籍を置く日本人スタッフも増えている。
そんななか、2024年5月にブンデスリーガ2部から13年ぶりに1部昇格を果たしたザンクトパウリで奮闘する日本人スタッフがいることをご存じだろうか。
神原健太。32歳。職業はホペイロ。チームの用具管理や整備を一手に受ける存在だ。
FC岐阜などでホペイロを勤めていた神原は大きな挑戦を求めて17年にドイツへと渡った。コネクションも何もないところから手探りで道を切り開き、3部クラブのイエナで最初の取っかかりを作る。20年には当時2部から3部降格のドレスデンへ、さらに22年には2部ザンクトパウリへと移籍。今回クラブとともに悲願の1部昇格を祝った。
選手がクラブ間を移籍するのはよく聞く話だが、ホペイロの移籍となるとなかなかイメージが掴みづらい。ドレスデンからザンクトパウリへの移籍には、どんな背景があったのだろうか。
「ドレスデンとの最初の契約の時に、ホペイロの仕事のほかに、日本人選手スカウティングもやってくれないかという話があったんです。スポーツディレクターが日本人選手にかなり興味を持っていて、スカウトチーフとも話をして、Jリーグとか見るんだったら、週何試合かでもいいから良い選手とかいたら、レポート書いてくれたら嬉しいみたいな感じから始まったんですよね。
次の契約更新の話し合いで、僕がやっていたスカウティングの仕事も結構評価してくれたんですよ。ドレスデンとしては、日本人選手のスカウティングに力を入れてくれないかという話になりまして、ホペイロ半分、スカウト半分くらいの割合で、ということでしたね。
元々日本人選手のサポートをやりたいと思ってドイツに来たので、ある意味願ったり叶ったりの仕事。日本人選手を獲ってくる可能性を自分で大きくすることもできる。
ただ2部だったらチャンスはあったと思うけど、3部に落ちてしまったら肌感覚的に厳しいかなと。現場のほうで働きたいっていう気持ちが強いので、もし降格となったらもう一度考えさせてほしいという話をしたんです。で、ものの見事に3部に落ちたんですけど(苦笑)」
ドイツで掴んだチャンス「根拠なき自信と、不思議なほどの勇敢さがあったんですかね?」
さてどうしよう。ひょっとしたらほかの場所に可能性あるかもしれないと動き出したところ、ちょうどザンクトパウリがホペイロを1人探しているという情報に行きつく。早速コンタクトを取ってみると好反応が返ってきた。
「ドレスデンの方にも話をしたら、『お前がそれがいいと思うならその道をいけばいいと思うよ』って言ってくれたんです。喧嘩別れとかではなく、気持ち良く送り出してもらえました。スカウトの仕事にも魅力を感じましたが、僕はやっぱりホペイロとして現場での仕事にこだわってやりたいという思いのほうが強かったんです」
そんな経緯でザンクトパウリへ移り、クラブのために働き、チームにしっかりと馴染み、そして仲間とともに1部昇格を見事成し遂げた。規模の大きいクラブへのステップアップを少しずつ成功させてきた神原だが、果たしてドイツへ渡った当初にどこまで今の自分をイメージしていたのだろうか。
「これを言ったら怒られるかもしれないですけど、当初は30歳でブンデス1部って計画してまして。だからもう行っている予定だったので、それを考えるとちょっと遅れてるなっていう(笑)。もうなぜそこまでの自信があったのか分からない。根拠なき自信と、不思議なほどの勇敢さがあったんですかね? うちのクラブの選手とかにもよく聞かれるんです。『なんでドイツに来たの?』って。ひとしきり説明すると、『本当に勇気あるよな』って言ってもらえます」
一種の無謀さとそれこそ根拠のない自信は若者の特権と言われたりするが、若者みんながそれらを持っているというわけではない。行動することなく、チャンスを掴むことはできないのだということを、神原の歩みが教えてくれている。
信念を持って進んだ先に素晴らしい未来が待っていたという勇気の物語だ。(文中敬称略)
[プロフィール]
神原健太(かんばら・けんた)/筑波大学体育専門学部に入学後、関東大学サッカー連盟でリーグ運営のスタッフを経験。選手をサポートする仕事に魅力を感じ、J2のFC岐阜などでホペイロを務める。その世界で頂点を極めるため2017年にドイツへ渡り、手探りで道を切り開き、3部クラブのイエナと契約。2020年に当時2部から3部降格したドレスデンへ移り、22年には2部ザンクトパウリへと移籍。23-24シーズン、クラブとともに悲願の1部昇格を祝った。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。