17歳でJ1デビューも挫折…描いた未来は「今は叶わない」 “超エリート”がJ3移籍を決断した訳【コラム】
中村仁郎は松本山雅への移籍を決断
3週間中断していた2024年J3が8月17日の第24節から再開。J3参戦3シーズン目で是が非でもJ2復帰を果たしたい松本山雅FCはホーム・サンプロアルウィンでSC相模原に3-2で逆転勝利し、J2昇格プレーオフ圏内の6位・ツエーゲン金沢と勝ち点差4まで迫ってきた。
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自動昇格圏内の2位につけるアスルクラロ沼津との差は8。残り14試合という状況を考えると厳しいが、ここから連勝していくしかない。かつて日本サッカー協会(JFA)技術委員長を務めていた霜田正浩監督も「得点数を維持した状態で、課題だった失点を徐々に減らせている。ここからが本当の意味での正念場」と気を引き締めていた。
そんな山雅に8月から加わったのが、ガンバ大阪から育成型期限付き移籍してきた21歳の中村仁郎だ。2016年JFAエリートプログラムU-13から年代別代表に名を連ね、同年のスペイン遠征、2017年のUAE・オランダ遠征、2018年のバルド・マルヌ国際トーナメントなど、10代前半から数多くの国際舞台に立ってきた彼はエリート中のエリートだ。
中学から過ごしてきたガンバ大阪でも2020年12月19日の清水エスパルス戦でJ1デビュー。当時はまだ17歳だった。高校2年でのJ1出場は宇佐美貴史、堂安律(フライブルク)以来というから、大きなポテンシャルが窺えた。
2022年にはトップ昇格を果たし、片野坂知宏監督(現大分)体制でJ1・9試合に出場したが、その後、出番を得られなくなり、2023年には左ひざの負傷で手術を余儀なくされ、長期離脱を強いられる羽目になったのだ。
「ひざの痛みが出たのは昨年の3月です。監督がダニ(ポヤトス)になって、1~3月の間は気持ちよくやれていたけど、そこからはずっと痛くて我慢していました。だけど、8~9月には難しくなって、10月に1回手術した。それでもあんまりよくならなくて、今年1月にもう1回手術して、7月に復帰した感じです」と本人は新生活を始めた松本で過去1年半の経過を改めて説明してくれた。
その間には同じ2003年生まれの佐野航大(NECナイメンヘン)や松木玖生(ギョズテペ)らが海外へ移籍。中村自身も2年前くらいまでは「自分も堂安選手のようにガンバから海外へ行って活躍したい」と輝かしい未来を描いていたが、まずは日本でイチからキャリアを築かなければいけないと考えたのだろう。
そこで前々から興味を抱いてくれていた松本山雅行きを決断。冒頭の相模原戦で後半25分から右サイドアタッカーのポジションで出場。新天地デビューを飾るとともに、約1年半ぶりの公式戦復帰を果たしたのだ。
「山雅からはずっと声をかけてもらっていたらしいんですけど、リハビリ期間は代理人に『あんまりオファーとか興味があっても言わんようにしといてください』と伝えていました。それで7月に復帰した後に話を聞いて、すぐに移籍を決断しました。もともと熱いチームやし、好印象を持っていたので、迷うことなく決めましたね。今のガンバの状況を見ても、出ている選手たちがすごくいいし、自分が食い込むのは正直言って難しい。『ガンバから海外へ行く』という第一の目標もありましたけど、今の自分には叶わないこと。ホンマにどこのカテゴリーでも試合に出ることを優先してやるべきやな、と感じたので、思い切って踏み出しました。
実際、こっちで試合に出てみて、強度はむしろJ3の方が高いなと感じた。それにボールロストも多くて、霜田監督から評価してもらえるような内容ではなかったと思う。そこは本当に改善していかないといけない。厳しい環境に身を置いた方が成長できると今は感じながらやっています」と彼は初めて大阪を離れた今の率直な感情を打ち明ける。
霜田監督は昨年の野澤零温(FC東京)、レノファ山口時代にオナイウ阿道(オーセール)、宮代大聖(神戸)に象徴させるように、若いタレントをレンタルで獲得し、大きく伸ばすことに長けた指揮官。中村仁郎も彼らのように飛躍できる可能性は少なくない。
確かにそれだけのポテンシャルがこの若武者にはある。ボールを持った時のアイデアやひらめきは類稀なものがあるし、パスセンスやドリブル突破など個人技術も高い。そこにフィジカル的な部分が伴ってくれば、J3で大活躍できるはずだ。
「山雅の夏の補強は僕だけだったんですけど、ここに来て『ホンマに補強ポイントが俺なんか?』と思うくらいいい選手がいっぱいいて、初日から気を引き締めなアカンと危機感を抱きました。今は(安藤)翼くんがスタメンで出ていますけど、自分がフルコンディションになっても、翼くんがよければもともとスタメンやし、その序列が変わらん可能性もある。自分は絶対に負けたらアカンと思っています。個人の成績としては、ゴール・アシスト合計で10を目指して頑張りたいな、と。残り試合は14ですけど、叶わへん夢やないと思うし、すべては自分次第。ちょっと高めの目標を掲げてやることが必要やと思っています。
今、山雅はプレーオフ圏内に入れていないけど、自分がチームの成績を引き上げられるようにしないといけない。霜田監督の期待に応えなきゃいけないと思うんで、得点とアシストという結果に強くこだわっていきます」
こう語り、目をギラつかせた中村。本人も強調する通り、今の彼に必要なのは、コンスタントにピッチに立ち続け、結果を残し、山雅の救世主になることだ。ライバルは安藤だけではないし、左サイドで出ることの多い村越凱光、滝裕太もいて、競争は熾烈だ。そこで貪欲に泥臭く勝ち抜くようなタフなメンタリティーを持つことも、中村に課せられた命題と言っていい。
10代から稀代のエリートと目されてきた選手は20歳前後で壁にぶつかるケースは少なくないが、彼ほどの類まれな才能を埋もれさせるのはあまりにもったいない。中村をJ1でプレーさせたJFAの宮本恒靖会長も「ぜひまた輝きを放ってほしい」と熱望していた。
かつて同じ山雅で2022年にJ3・11ゴールを挙げ、サガン鳥栖へステップアップし、今月イングランド3部のバーミンガムへ赴いた同い年の横山歩夢のように、中村も大ブレイクを果たしてほしいところ。ここからの山雅は8月24日のカターレ富山戦を皮切りに、FC岐阜、大宮アルディージャ、FC今治と重要なゲームが続く。その中で、背番号25をつける技巧派アタッカーが勝利を引き寄せる明確な仕事を見せることを願ってやまない。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。