冨安&板倉の牙城を崩せ! 大岩ジャパンから森保監督への“推薦状”【前園真聖コラム】
ポストプレーができる細谷真大はA代表に望まれる人材
パリ五輪の男子サッカーで大岩剛監督率いるU-23日本代表はグループリーグで3勝、7得点0失点と見事な成績で準々決勝に駒を進めた。だが、その準々決勝のスペイン戦では0-3と完敗を喫し、残念ながらメダルには手が届かなかった。ここから五輪代表のメンバーは次のステージであるA代表入りを目指して努力することになる。パリ五輪を戦った選手たちの中で誰がA代表入りしそうなのか、そして誰がA代表に入るようもっと活躍してほしいのか、1996年アトランタ五輪チームのキャプテンで元日本代表MF前園真聖氏に話を訊いた。(取材・構成=森雅史)
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パリ五輪、日本は準々決勝のスペイン戦に敗れて大会を去ることになりました。何度も惜しい場面は作りました。ただ、やはり技術、スキル、戦術においてスペインが上回っていたと思います。
スペインにはEURO(欧州選手権)で活躍した21歳のペドリ(FCバルセロナ)や17歳のラミン・ヤマル(FCバルセロナ)、22歳のニコ・ウィリアムズ(アスレティック・ビルバオ)もいなかったことを考えると、世界はまだまだ遠いということを強烈に教えてくれました。
でも、五輪が世界最高峰の大会ではありません。日本はさらに上のステージ、ワールドカップ(W杯)で勝つことが目標です。今回五輪に出場した選手たちは、今回の経験を持ってA代表に入り、次のレベルを目指してほしいと思います。
では、今回の五輪代表で誰がA代表としてプレーするところを見たいか。すでにA代表入りしている細谷真大(柏レイソル)を含めて僕は3人いると思いました。
まず当然ですが、細谷は日本代表でもっと活躍してほしい選手です。ポストプレーができるFWとしては今、上田綺世(フェイエノールト/オランダ)しかいないため、細谷のさらなる活躍が望まれます。パワフルでスピーディーな面を出してほしいものです。
今回の大会ではポストプレーでボールをキープした時、味方の上がりをかなり待たなければなりませんでした。A代表は五輪代表よりも周りの選手のレベルが上がるため、もっと素早くサポートしてもらえるので、さらに細谷のプレーは良くなると思います。
小久保玲央ブライアンは「A代表に入ってきてもおかしくない」
また、藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン/ベルギー)は、A代表で見たい選手です。今回どの試合でも中盤をコントロールして攻撃の基点になっていました。スピードや守備の強度はA代表の中盤の選手と比較するとまだ足りませんが、状況判断や視野の広さはA代表として十分活躍できるレベルと思います。
3人目は、小久保玲央ブライアン(シント=トロイデン/ベルギー)です。正直に言えば、スペイン戦ではもっと活躍してほしかったと思います。3失点のうち2失点は手に当たっていますから、あれを弾き出してほしいところでした。ただ、グループリーグは彼のおかげで突破できた部分も大きくあります。今後、A代表に入ってきてもおかしくない存在でした。
グループリーグを見ると斉藤光毅(ロンメルSK/ベルギー)と三戸舜介(スパルタ・ロッテルダム/オランダ)は非常に質の高い動きを見せていました。ただし、スペイン戦を見るとその持続性は大丈夫なのか、つまり調子の波があるのではないかと思いました。いい時はどんどん前に行けますが、得意な部分を抑えられるとどうするか。今後はヨーロッパでもっと経験を積むことがA代表への道でしょう。
そしてこの五輪から成長して、A代表に入ってきて欲しいポジションがあります。それはセンターバック。今、A代表のセンターバックは、コンディションさえよければ冨安健洋(アーセナル/イングランド)と板倉滉(ボルシアMG/ドイツ)で決まりでしょう。そこに割って入ってくる若手がいないのです。
冨安と板倉が常に万全ということはないでしょう。そうなった時、守備が崩壊しないようにするためには、今回の五輪代表から木村誠二(サガン鳥栖)、高井幸大(川崎フロンターレ)、西尾隆矢(セレッソ大阪)、鈴木海音(ジュビロ磐田)らが彼らを脅かすくらい育つことが必要です。
もちろんほかの選手たちにしても、この五輪メンバーがどれだけA代表に入ってくるかは日本サッカーを押し上げる重要な要素です。東京五輪の選手たちが今、A代表の主力になっているように、この選手たちの成長を楽しみにしています。
(前園真聖 / Maezono Masakiyo)
前園真聖
まえぞの・まさきよ/1973年生まれ、鹿児島県出身。92年に鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。96年のアトランタ五輪では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などをチームのキャプテンとして演出した。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、湘南ベルマーレの国内クラブに加え、ブラジルのサントスFCとゴイアスEC、韓国の安養LGチータースと仁川ユナイテッドの海外クラブでもプレーし、2005年5月19日に現役引退を表明。セカンドキャリアでは解説者としてメディアなどで活動しながら、「ZONOサッカースクール」を主催し、普及活動を行う。09年にはラモス瑠偉監督率いるビーチサッカー日本代表に招集されて現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのワールドカップ(W杯)において、チームのベスト8に貢献した。