34歳になった元浦和「天才少年」 育ての“親”と特別な一戦…敵地「コロシアム」で脅威になった背番号10【コラム】

湘南でプレーする山田直輝【写真:Getty Images】
湘南でプレーする山田直輝【写真:Getty Images】

湘南の山田直輝は浦和の下部組織で育った

 気がつけば浦和レッズよりも、湘南ベルマーレでプレーしている時間の方が長くなっている。

【PR】ABEMA de DAZN、明治安田J1リーグの試合を毎節2試合無料生中継!

 昨シーズンを終えた時点で、MF山田直輝は浦和と湘南とで7年半ずつ在籍していた。期限付き移籍を完全移籍に切り替え、中学生年代のジュニアユースから所属してきた浦和と袂を分かち合って5シーズン目。湘南の「10番」が似合う男になっても、山田のなかで浦和は特別なチームであり続けている。

「浦和と対戦するときだけは、意識しないように心がけても、僕の中ではどうしても特別な試合になる。辛い時でも声をかけてくれた浦和のファン・サポーターが本当に大勢いたし、そういう方々のためにもピッチで元気に走り回っている僕の姿を見せなきゃいけない。僕にできる恩返しといえば、本当にそれだけなので」

 こう語っていた山田は、2024年7月6日を心待ちにしてきた。4日に34歳になって初めて迎えるリーグ戦の相手は浦和。しかも、試合会場は埼玉スタジアムではない。今シーズンで1試合だけ、浦和駒場スタジアムが使われる一戦の相手が湘南となった巡り合わせに感謝しながら、山田はこんな言葉を残している。

「初めてアウェーチームの一員として、このスタジアムのピッチに立ちました」

 Jリーグが華々しく産声をあげ、日本中にブームを巻き起こした1993シーズンから浦和が本拠地として使用していた、収容人員2万1500人の浦和駒場スタジアムに山田は特別な思いを抱き続けてきた。

「この言葉がいいのかどうかわからないですけど、陸上競技場のなかでもっともコロシアムに近いというか。そういった雰囲気を感じたし、僕が小学生のころに見ていた憧れのスタジアムと変わりなかったですね」

 スタジアムというよりも、古代ローマの円形闘技場を語源とするコロシアム。山田が言わんとする意味を、湘南のチームメイトたちも感じ取っていた。ピッチの周囲を陸上トラックが取り囲んでいるにもかかわらず、浦和を鼓舞するファン・サポーターの声援があらゆる方向から降り注ぎ、対戦相手にプレッシャーを与える。

「僕自身は試合中にすごい雰囲気になるのは知っていましたけど、チームのみんなも試合後に『陸上競技場でこの雰囲気になるのは、やっぱりすごいことだよね』といった話をしていました」

 山田が湘南の一員として、公式戦で浦和のホームに乗り込むのは今回が6試合目。過去5回はすべて埼玉スタジアムだった。しかし、個人的な感情ばかりを昂ぶらせているわけにもいかない。湘南は前節まで2分4敗と6試合続けて勝利から見放され、順位も降格圏の19位にあえいで浦和駒場スタジアムに乗り込んできていた。

「湘南ベルマーレというチームにはいま、何よりも勝利が必要な状況でした。なので、勝利だけを求めて試合に臨みました。僕自身、自分のプレーよりもチームの結果に、常に100%フォーカスしているので」

 インサイドハーフの一角で、今シーズン3度目の先発を果たした山田は前半32分に、湘南が6試合ぶりにマークした先制点をアシストしている。敵陣へ攻め込み、果敢に1対1を挑むもボールを失った左ウイングバック、畑大雅が高い位置で奪い返し、フォローしようと近くにきた山田にパスを預けた直後だった。

 山田がワンタッチでアンカーの田中聡にはたいたボールは、もう1人のインサイドハーフ池田昌生を介して、ペナルティーエリア近くへポジションを移してきた山田のもとへ、鋭い縦パスと化して再び戻ってきた。半身の体勢になっていた山田は左足でボールをトラップ。一瞬の間を作ってから、右足で軽やかにボールにタッチする。

 自身からは見えない背後で、田中が走り込んできていると信じていた山田のノールックのスルーパス。ボールは浦和のセンターバック佐藤瑶大、右サイドバック石原広教の間を縫うコースを突きながら、石原の背後から走り込んでいった田中のもとへ。利き足の左足をワンタッチで振り抜いた田中が、ゴール右へ先制点を突き刺した。

 ポジションを移しながら、右手で池田からの縦パスを呼び込んでいた山田が振り返る。

「ペナルティーエリアの近くで僕がボールを受けられれば、相手の脅威になると思っていたところへいいボールがきた。思ったようなパスじゃなかったですけど、結果的に得点につながったので良かったです。今日はとにかく相手が嫌がるところへどんどん入っていこう、というのがあった。前節で1点も取れずに負けてしまったので、点を取るためにも相手が怖がるところに入っていこう、と。僕もそれを強く意識していました」

34歳のベテラン山田が次世代に伝える「勝利する姿」

 昨シーズンまでのチームメイトで、酒井宏樹が抜けた右サイドバックに定着した石原と激しいデュエルを繰り返した。例えば前半36分。石原がスライディングタックルを仕掛けてきた状況でも、怯まずに前へ飛び出してファウルを誘った。すでにイエローカードを1枚もらっていた石原が、肝を冷やした場面でもあった。

「長く同じチームでプレーしてきた選手ですし、もちろん彼の良さは良く分かっていました。なので、彼の良さを逆にこっちがガツガツいって消そうと思っていたので。そうですね、楽しかったですね」

 湘南のリードで折り返した試合は、後半に入ってFW前田直輝、FWチアゴ・サンタナ、MFサミュエル・グスタフソンと交代カードを次々と切った浦和が盛り返し、同17分にサンタナのゴールで追い付く。

 迎えた後半23分に、山田は池田とともにピッチを後にする。交代で投入された1人、ルーキーのFW石井久継の背中をポンポンと叩いて山田はタッチラインを越えた。何かメッセージを託したのか。試合後の山田に聞いた。

「それほど時間がなかったので、僕の思いを託したというか。僕が代わった時点でスコアは1対1だったし、彼は若いですけど本当に力があるので、頼んだよ、という感じで背中を叩いて送り出した感じですね」

 その後に再びサンタナに決められて逆転されたが、後半アディショナルタイムに突入する直前の後半45分に山田のエールが届いた。一夜明けた七夕に19歳になるアカデミー出身の石井が、起死回生の同点ゴールを一閃。2種登録された昨シーズンを含めて、出場15試合目で石井が決めたJ1初ゴールが湘南を蘇らせた。

 年齢が15歳も離れた石井へ、山田は「ほぼ高校生みたいなものだし、本当に可愛い感じですよね」と目を細めながら、アディショナルタイムにFWルキアンが決めた逆転ゴールをも導いてくれたと感謝している。

「持っているものはすごくいいし、それはみんなからも認められている。あの場面でJ1初ゴールを決めてくれて本当に頼りになるというか、あの時間帯で同点に追い付いたからこそ逆転勝ちも見えてきたと思う」

 浦和のトップチームへ昇格した2009シーズンは、ボールを触っているだけで楽しかった。自分のサッカーを貫けばおのずと結果もついてくると信じて疑わなかった。チームの中心で輝く姿は、いつしか「浦和のハート」と呼ばれた。日本代表でもまばゆい存在感を放ち、デビュー戦では本田圭佑の代表初ゴールをアシストしている。

 しかし、その後の故障禍が山田から笑顔を奪う。生まれ変わりたい、という思いを抱いて湘南へ期限付き移籍したのが2015シーズン。その後も両チーム間を行き来したかつての天才少年は、チームのために走り抜く自己犠牲の精神と、チームを勝たせる責任の重さを知った。本当の意味で生まれ変わり、いま現在に至っている。

「何回も何回も決定機を作られましたけど、それでも僕たちらしく前からボールを奪いにいく、というプレーを前半から出せた。戦っていて何度も強いと思いましたし、スタジアムの雰囲気を含めて、やはり浦和だなと感じましたけど、最後の最後まであきらめないのが湘南のスタイルですし、終盤の方は相手よりも走って出ていく部分も出せていた。湘南らしく戦い抜いて、勝利する姿をファン・サポーターの方々に見せられたと思う」

 山田を喜ばせた、湘南にとって7試合ぶりとなる白星は、実は特別な意味をもっていた。湘南のホーム戦を含めて、山田はこれまでに浦和と公式戦で11回対戦し、1勝5分5敗の結果を残してきた。

 唯一の白星は2021年6月20日。コロナ禍で入場制限が課されていた埼玉スタジアムで、先発した山田は27分に1-1の同点に追い付くゴールを決めた。最終的には3-2と逆転勝ちしたものの、浦和の選手1人に出場資格がったとして没収試合になり、公式記録上では3-0のスコアで湘南が勝利した扱いとなっている。

 あくまでも公式記録上の話となるが、試合が成立した浦和戦では今回が初めての勝利となる。しかも、山田のなかで特別な場所として位置づけられる、浦和駒場スタジアムで手にした価値が山田の言葉を弾ませた。

「サッカー選手になりたいと、僕に思わせてくれたスタジアムなので。個人的には反省するところが多い試合だったけど、それでもここで勝てたのはすごく感慨深いというか、そんな気持ちになりました」

 勝ち点2ポイント差で追う18位の京都サンガF.C.も勝ったため、湘南の順位は19位で変わらない。それでもJ1残留だけでなく、ひとつでも上の順位を目指して戦い続けていく過程で手にした、チームとしても個人としても忘れられない会心の逆転勝利が、ベテランの域に達した34歳の山田に新たなエネルギーを注入した。

page1 page2

藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング