北朝鮮アウェー戦“恐怖体験談”…「マジックミラーで監視されていると噂」日本代表OBが告白【見解】
【専門家の目|栗原勇蔵】北朝鮮には「常識は通用しない」
森保一監督率いる日本代表は、北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選で3月21日(ホーム/国立競技場)と26日(アウェー/金日成競技場)に北朝鮮と2連戦を行う。とりわけ、平壌でアウェーゲームを行うのは、2011年11月15日以来、実に13年ぶりのこと。当時、日本代表メンバーとしてピッチに立っていた元日本代表DF栗原勇蔵氏に、“未知なる地”北朝鮮での体験談を訊いた。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)
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アジアカップでベスト8敗退に終わった森保ジャパンは、3月21日にホーム(東京)、26日にアウェー(平壌)で北朝鮮とW杯アジア2次予選を戦う。
3月26日のアウェー北朝鮮戦は、アジアサッカー連盟(AFC)の視察団が平壌入りして状況を確認。第3国開催の可能性も指摘されていたが、予定どおり平壌の金日成競技場で現地17時キックオフとなった。
日本は平壌決戦で分が悪く、過去のアウェー戦は2分2敗と勝ったことがない。最後に戦ったのは、2011年11月15日に平壌の金日成競技場で行われたブラジルW杯アジア3次予選第5戦。約5万人の大観衆にあと押しされた北朝鮮代表に0-1で敗れ、アルベルト・ザッケローニ監督体制17試合目で初黒星を喫した。
当時、試合に出場した14人のうちの1人である日本代表OB栗原氏は「北朝鮮は、行った人間しか分からない恐怖がある。常識は通用しない。何が起こっても不思議はない。僕自身、代表選手として覚悟を決めて行きました」と振り返る。
ペン記者6人、カメラマン4人のみという限られた人数しか取材許可も下りず、入国に際して携帯やパソコンなどを一時没収されたという話は有名だが、選手たちも空港で約4時間の足止めを食らったという。北朝鮮の公用語であるハングルが分かる関係者によれば、「こんなの全部取り上げてしまえ」と話しているのも耳にしたと、栗原氏は語る。
北朝鮮は「一番恐怖を感じた国」
「JFA(日本サッカー協会)のスタッフの人から、『みんな持っているものを全部出してくれ。一時預かりになるから』と言われて。今はスマホやiPadがあれば用が足りる時代ですけど、パソコン、DVDプレーヤーなどの電子機器、トランプ、漫画、本などの娯楽品は全部没収されました。ただ、ずっと身体検査や所持品チェックをされていたわけではなく、とにかく待たされている時間が長かった。なぜ時間がかかるのか、何に時間がかかっているのかも分からずでした。平壌国際空港は1つの箱のようなイメージ。下(床)がコンクリートみたいな感じで、暖房も入っているのか入っていないのか分からなくて、2℃の中でとにかく寒い思いをしました。ようやく空港着いて、そこから4時間かかる。ただでさえタジキスタン→中国(北京)→北朝鮮(平壌)と移動して疲れているのに、寒いので余計疲れる。身体もガチガチになって大変な思いをした記憶はあります」
北朝鮮のホテルでは、「部屋がマジックミラーで監視されていると噂があって余計なことはするなという話になっていた」と明かす栗原氏。部屋の前の廊下を銃を持った兵隊が常に歩いているという、これまでに味わったことがない「異様な光景」だったという。
「まさにアウェーの洗礼を食らったと思いました。守ってくれる警備の銃であるはずですけど、日本では銃を持っているのは基本的には警察関係者くらいなもので、ライフルみたいな大きな銃を持っている人間がそこら中にいるわけですから、もう恐怖しかないです。一番恐怖を感じた国ですね。怯えて、『怖いから一緒に寝ましょう』と言っている選手もいたくらいです」
ピッチ外の面でも不安要素の多い平壌でのアウェーゲーム。どれだけ平常心を保てるか、森保ジャパンが鬼門の敵地で勝ち点を手にするためのポイントの1つになりそうだ。
(FOOTBALL ZONE編集部)
栗原勇蔵
くりはら・ゆうぞう/1983年生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。