「オフトが初めて謝罪した」 93年ドーハの悲劇から30年越し…日本で闘将に詫びた“意図”

”ドーハの悲劇”時に日本代表を率いたハンス・オフト氏【写真:Getty Images】
”ドーハの悲劇”時に日本代表を率いたハンス・オフト氏【写真:Getty Images】

1993年W杯予選の“ドーハの悲劇”を回想

 元日本代表FW前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に、元日本代表の柱谷哲二氏、北澤豪氏らが出演。1993年のワールドカップ(W杯)最終予選で本大会行きを阻まれた“ドーハの悲劇”を改めて回想するとともに、当時のハンス・オフト監督から昨年、30年越しの謝罪を受けたことが明かされた。

 Jリーグが開幕した1993年、日本代表はカタールの首都ドーハで行われたW杯アジア最終予選で翌年の本大会出場が目前に迫った。イラクとの最終戦で勝てば初のW杯出場が決まる運命の一戦。終盤まで2-1とリードして迎えた後半ロスタイム、コーナーキックから同点ゴールを許し、2-2で引き分けたため本大会行きの夢は潰えた。

“ドーハの悲劇”として語り継がれたこの一戦を、YouTubeチャンネルの最新回で改めて回想。2-1とリードして迎えた後半、運動量が落ちた展開で最初の交代カードとして福田正博氏がピッチへ。そのあとに武田修宏氏が投入されていたものの、ピッチ上の選手が求めていたのはスタミナ豊富な北澤氏だった。

 当時キャプテンの闘将・柱谷氏は「ずっと言ってたけどね、北澤入れろ! と。跳ね返してもセカンド拾えない。中盤3枚だから」と明かし、4-3-3から4-4-2の布陣変更と、守備に軸足を置く戦いを求めていたことを振り返った。福田氏が体調を崩していたこともあり「なんで?」と疑問を抱くなかで、さらに攻撃的なカードが切られたため混乱が生じたという。

「これは守り切るんじゃなくて3点目取りに行くんだと」切り替えたという柱谷氏。これに元ヴェルディ川崎監督で、解説者の松木安太郎氏は「そこはチームをバラバラにさせた。何人かは3点目を取りに行くと思ってる。何人かは身体が動かない」と私見を述べ、柱谷氏と同じく中盤を強化すべきだったと振り返った。

 この一戦から30年の時を経た昨年、柱谷氏は日本でオフト氏と再会した際、初めて謝罪を受けたことを告白。「去年の春、オフトが来た時に新横浜でパーティーやったんですね。その時、初めて僕にオフトが謝罪した。『W杯に連れて行けず本当に申し訳なかった』って言った」と、突然詫びられた出来事に触れた。

 ドーハの悲劇から30年越しで謝罪した意図については「多分もう日本には来ないんだろうね。ラストジャパンだと思っていたんだろうね、年齢的にも。その時、苦しい思いが出た。監督としては謝る時は、去る時。もうこれでみんなと会うのはラスト」といい、文字どおり“最後のメッセージ”だった可能性を語った。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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