「ドイツでの自分は0点」 FC東京の新戦力・遠藤渓太が異国で達した新境地「8番の位置」【コラム】

今季FC東京に新加入の遠藤渓太【写真:徳原隆元】
今季FC東京に新加入の遠藤渓太【写真:徳原隆元】

遠藤渓太は今季から日本へ復帰…東京FCに加入した

 2月23日のサンフレッチェ広島対浦和レッズ戦から幕を開ける2024年Jリーグ。新シーズンに向け、40歳の大物守護神・川島永嗣(ジュビロ磐田)やオランダからの逆輸入選手、ファン・ウェルメスケルケン際(川崎フロンターレ)にように、海外から戻ってきた注目選手も何人かいる。

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 FC東京の遠藤渓太もその1人。2020年夏まで横浜F・マリノスに在籍した彼は、ご存知の通り、切れ味鋭いドリブル突破と推進力を武器に異彩を放っていた。

 当時は年代別代表にも名を連ね、2017年には板倉滉(ボルシアMG)、冨安健洋(アーセナル)、堂安律(フライブルク)、久保建英(レアル・ソシエダ)らとともにU-20ワールドカップ(W杯)韓国大会にも参戦。2019年にはE-1選手権にA代表として参戦。「東京五輪世代のアタッカー」としてエリート街道を驀進していた。

 その勢いに乗って、2020年夏にはブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリンへ。2021年4月には完全移籍へ移行し、ドイツでの大きな飛躍を予感させた。

 しかしながら、ケガに見舞われ、そこから出番を失うと、2022年夏には2部ブラウンシュバイクへレンタル移籍。彼自身ももがき続けたが、最後まで活躍が叶わないまま、ドイツで3年半という月日が経過。このタイミングでのJリーグ復帰を決意したという。

「ドイツでの自分? 0点じゃないですか(苦笑)。結果を出せなかったですし、試合にも絡めなかったから。少なくともチャンスはウニオンでもブラウンシュバイクでもあったと思うけど、それを活かしきれず、監督の信頼を得られなかった。そういう意味では全部、自分に責任があるのかなと思います」

 謙虚な男らしい言い回しで厳しい自己評価をした遠藤渓太。難しさの一因となったのは不慣れなポジションだったという。

「ドイツでは結局、サイドのポジションでプレーしたことはないんですよ。主にやったのはインサイドハーフ(IH)。8番のポジションだったので、守備の強度とかを求められていた。うまさとか、攻撃の部分での違いを見せるというよりも、守備でボールを奪い切るっていうところでしたね」と本人はJリーグ時代と全く異なる要求に応えようと必死に取り組んだことを明かす。

「特に改善しようと思ったのは、ボックス・トゥ・ボックスの走りや切り替えの部分。それに球際ですね。圧倒的にデカい選手と真正面から対峙しても自分が勝てるとは思わないので、体の力の入れどころとかを意識しながら、練習でアピールしようとしていました。そのために日々、自分の体と向き合っていたという感じですかね」と、遠藤渓太は神妙な面持ちで言う。

 幸いにして、ウニオン・ベルリン2年目には原口元気(シュツットガルト)がハノーファーから加入。さまざまな経験を伝えてくれた。2015年夏にヘルタ・ベルリンに赴いた頃の原口も試合に出られず、肉体改造を徹底的に実施。110mハードルの第一人者である筑波大学・谷川聡准教授に師事して走り方の改善も行い、ストップ&ランの技術が目覚ましく改善している。

 そんな先輩にならって遠藤渓太も谷川准教授からアドバイスを受け、多角的な角度から自分自身を見直した。

「1か月のオフ期間も谷川先生のところにお世話になっていましたし、ホームゲームでベンチ外になった時も試合を見に行かずにジムに籠って体づくりをしていました。だから、自分としてはそんなに時間を無駄にしてないのかなとは感じています。ブラウンシュバイクの行ってからは日本人1人でしたけど、ドイツ語のコミュニケーションも基本的に取れるくらいにはなっていたんで、ストレスはなかった。出てない中でも自分なりにいろんなことに向き合ってやっていました」

ピーター・クラモフスキー監督の下で再起を図る【写真:元川悦子】
ピーター・クラモフスキー監督の下で再起を図る【写真:元川悦子】

「僕は0ゴールでもいい」遠藤が目指す攻撃の形

 そういった経験を戻ってきたJリーグで生かさないと意味がない。彼自身の中では「同世代の海外で活躍している選手に比べると自分は全然うまくいかなかったし、『落ちたな』と感じることもあるけど、またここから自分を1から作り上げていかなきゃいけない」と再起への闘志をメラメラと燃やしている。

 今季のFC東京では、横浜時代に主戦場にしていた左サイドのポジションで起用される見通し。“進化した遠藤渓太”を印象付けることが、チームの攻撃陣活性化にもつながるはずだ。

「ヘンに大人な選手になっちゃったかもしれないので(苦笑)。ガムシャラにゴールに向かっていければいいですね。僕がドイツでIHで出ていたとか、そういうことを知らない人も多いだろうし、ここ3~4年のイメージというのはないと思うので、本当にFC東京で一から自分のプレーをサポーターに見せられたらいいと思います」と彼は2024年から新たな自分を再構築していく構えだ。

 右サイドにかつて横浜で共闘していた仲川輝人がいて、トップ下に感性の鋭い荒木遼太郎が陣取っていることも追い風だろう。ピーター・クラモフスキー監督は前線アタッカー陣がつながりながら連動性・流動性を持った攻めを繰り出すことを求めており、そこには遠藤渓太自身も手応えをつかみつつあるようだ。

「僕は僕なりに今のチームのサッカーを理解しているつもりです。自分的にももっとこうしてほしいというのはあるので、それをほかの選手も伝えていければいいと思います。 そういう中で、自分はチームが勝つための仕事ができればそれでいい。正直、僕は0ゴールでもいいというか、その時々でベストな選択肢を選べるプレーをできればいいと思っています。最初は簡単じゃないかもしれないけど、成功体験を積み上げて自信を高めていって、いいチームになれたら理想的ですね」

 フォア・ザ・チーム精神を前面に押し出しつつ、ドイツで得た球際の強さ、走力、粘り強さなどをチームに持ち込めれば、彼は必ずインパクトを残せるはず。それだけのポテンシャルには遠藤渓太にはある。

 新たな環境で再出発する快足アタッカーの一挙手一投足から目が離せない。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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