「年齢を言い訳にしたくない」 36歳・梅崎司が語った心境、新シーズンで求める“強気な自分”【コラム】
【カメラマンの目】大分トリニータ・梅崎の心境にフォーカス
今思えば、確かに湘南ベルマーレ時代にインタビューの撮影で会った梅崎司の印象は、サッカーというスポーツを多角的に捉えているという印象を受けた。まさに人生そのものに置き換え、サッカー選手というより1人の人間として、このスポーツにどう向き合うべきなのかと考えているようだった。
【PR】ABEMA de DAZN、明治安田J1リーグの試合を毎節2試合無料生中継!
宮崎キャンプを行っていた大分トリニータは、1月31日にサンフレッチェ広島とのトレーニングマッチに臨んだ。しかし、36歳の梅崎は怪我のため出場することなく、回復に専念していた。そのため彼と会話を交わすことができた。梅崎は湘南時代に出会った曺貴裁監督(現在・京都サンガF.C.監督)の「もっと気を遣わずに自分を出せ」という言葉が発火点となって奮起し、手にした漲るパワーをもう一度、感じたいと考えていた。
「若い時は無知だけど、今は現実的な思考になっている。現実的になるのは大事なことなんだけど、それが邪魔しているなぁと思うようになった」
もっと夢を持ったほうが良いということかと尋ねると「そういうことだと思います」と即答した。
「今、曺さんと出会った時の感覚に戻ってきているんです。年長者としてより深い目線で見る、チームマネジメントに近いような関心と、ほかにもう一回自分にフォーカスすることにチャレンジしたいなと」
そして、さまざまな経験によって視野が広がり、周囲の選手を見る楽しみを感じられるようになっているようだった。
「(トレーニングマッチ)では青ちゃん(青山敏弘)もそうだし若い満田君とか、川村君とか見たいと思っています。どういう感覚でやっているのか楽しみです」
心に余裕があるからこそ、ほかの選手に嫉妬するのではなく高いレベルの選手のサッカーを見ることに、純粋に楽しみを感じられるようになっているのだろう。
梅崎がプレーを見られることを楽しみにしていると青山に告げると、広島のレジェンドは「梅ちゃんはまだできるよ。J2でサッカーも違うだろうし、難しさもあるけどチームを動かす力があるので、楽しみにしています」とエールを送る。
「J1に上がって集大成を迎えたいです」
──もう、語り尽くしているでしょうが、J1に上がるために必要なものはなんでしょうか?
「去年はチームにとっての影響力を考えていた。そこの立ち位置とか役割が絶対にあったので、自分のチームへの影響力を考えていた。けれど、それよりも今年は自分自身がどう活躍して、俺が決めるんだという思いをもっと強く持って、実行できるかということを考えています。もちろん技術的なところとか、フィジカル面が若い時とはまったく違うけど、色々と経験してきたし、知っていることも増えたので、自分だけの違うやり方で力を発揮していきたい。年齢とかを自分ができない言い訳にしたくないです」
梅崎の言葉は続く。
「一心不乱にこの道だと決めて、しかも周りを見られる余裕もできた状態が最強だなと思い、それに達したいなぁと思っています」
──そのステージに達するためにはなにが必要ですか?
「もう、強気な自分を出すということです」
── 07年のように?
「そうです、そういうマインドです。(大分からフランスのグルノーブルを経て)浦和レッズ(08年~17年所属)に行って、現実的な自分がすごく出てきたなかで、(その後、湘南に移籍して)曺さんからお前は自分を出すタイプで、それが良いんだよと教えてくれた。当時も思っていましたが、今のほうがよりその言葉の重みを感じています。一番、俺を表していて、輝ける方法なんだと分かり、それを実践したいと思っています」
現実的に考えて梅崎に残された選手生活はそれほど長くない。
「気力がなくなるというのも分かります。高いステージを見てきて、やることやったから、もう頑張る必要はないかと。俺もなりかけたけどありがたいことに(大分に)契約をもらい、変にベテランだとか最年長だとかという括りにするのはもったいないなと。もっと知りたいなと」
──サッカーを?
「サッカーもそうですし、その時の心理で自分がどう変わっていくのかみたいな。と、いうようなことをずっとキャンプ中に考えていました(笑)。怪我をしているので時間があったということもありますが、この状況を逆にラッキーと考えて、(開幕の)スタートから入るよりも、怪我をしたことによってもう一回すべてを整理し直してみるのも良いかな。そして、いまはJ2なのでJ1に上がって(サッカー選手としての)集大成を迎えたいです」
厳しいヒエラルキーを勝ち抜きプロサッカー選手となり、さらに代表選手まで上り詰めた男の到達地点。そこを目指すために、今シーズンはギラギラした梅崎を見ることができるだろう。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。