プロ21年目の梅崎司が辿り着いた境地 “リミッター”解除で追い求める「ギラギラ」な自分【コラム】
【カメラマンの目】怪我で自問自答を繰り返して見えた“新たな自分”
静かな雨がピッチに降り注ぐなか、建物の下で黙々とストレッチを行う大分トリニータの元日本代表MF梅崎司。入念に身体のケアをする梅崎は、トレーニングマッチに臨むほかの選手たちが作り出す輪の外にいた。
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そんな彼に声をかけようか迷った。だが、視線が合ったところで勇気を出して声をかけてみた。
彼にはスタジアムでの試合の撮影のほかに、湘南ベルマーレ時代にインタビュー取材の際にカメラマンとして同行した経験があった。梅崎もこの時の撮影と取材後に話した雑談も含めて記憶の端に覚えていてくれた。
聞けば怪我のため別メニューとなっていて、1月31日に行われたサンフレッチェ広島とのトレーニングマッチには出場しないということだった。
まったくの場違いかもしれないが、サッカー選手としての人生観の話になった。
「実は怪我をしていることもあって、自問自答を繰り返しているんですよ。去年はキャプテンだったので、チームビルディングやフォア・ザ・チームといったチームのことや、仲間の選手を見ることを大分でやりたいなと思って、それにトライしました。そして良かったこと、悪かったことといろいろあったのですが、今年は一歩引いた立場になり(新シーズンに向けて副キャプテンを務める)、もう一回自分に戻ろう、自分にフォーカスしようという感じが出てきています」
2月23日で37歳となる梅崎は、平均年齢でひと回りも若いチームの中にあって、新たなシーズンでは周囲のことも気にかけるが、自分も大切にしたいという思いが生まれていた。
「20年間プロ生活をやってきて、いつも悩んでは上がって、悩んでは上がっての繰り返しでした。でも、悩むことも大事だなと思うようになりました」
梅崎のような日本を代表するアスリートなら、サッカー選手としての人生はさぞかし順風満帆に歩んできたと思い込んでいたが、どうやらそうではないようだった。
「自分の中に2人の自分がいるんです。ギラギラしている強気な自分と、小心者で弱い自分が。そこのバランスを考えていた。深層心理ではないですけど、深いところでそういう自分がいることは、なんとなく分かっていましたが昨日、しっかりと気づけたんです」
偶然とはいえ、会話をする機会を得たこの時の前日に、梅崎にとってなにかを感じ取っていた。ぜひ、その話を聞きたいと思った。
「調子乗り世代」の頃のギラギラが理想
数日前、日本がカタールで開催されているアジアカップを戦う期間で、代表に関係した原稿を書くため過去の選手の思い出を掘り起こしたり、写真を探していた。そこで現役を引退し、現在はメディアで活躍する槙野智章氏と内田篤人氏の原稿を書こうと、2007年のカナダで行われたU-20ワールドカップ(W杯)の写真をちょうど探し出していたところだった。
そのメンバーには、レギュラーとして梅崎も入っていた。対戦相手にも臆することなく戦い、彼らの風貌も槙野氏が赤、安田理大氏が金髪と見るからに、やんちゃだったことを懐かしく話す。
「そう、これからは07年の頃のようにギラギラしていこうと思っています」
梅崎は湘南ベルマーレ時代の曺貴裁監督(現在・京都サンガF.C.監督)との出会いが、その後のサッカー人生において大きな影響を与えてくれたと言う。
「曺さんには『お前は優しい人間だから人に合わせてしまうけど、俺に付いて来いというモードになった時が、お前が一番輝くことになるんだと』言われました。自分ではそんなことはないと思っていたのですが、シーズンに入ってもまだ人に合わせている、まだ気を使っていると口が酸っぱくなるほど言われました。そして、その殻を破った時に、もう一気にバーンと感情が上がったんです」
梅崎のようにチームにとって中心選手となる存在は、自分のことばかりを考えてはいられない。勝利に向かってチーム全体のことを考える立場となるが、そのリミッターが外れた時に、彼は真実の自分を見たようだった。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。