日本代表「10番」の役割とは? 名波浩、中村俊輔、香川真司、南野拓実も苦しんだ重圧…現エースが負の連鎖を断ち切るか【コラム】

日本代表で10番を背負う堂安律【写真:徳原隆元】
日本代表で10番を背負う堂安律【写真:徳原隆元】

エースナンバー10番を背負う堂安律が抱く危機感「全部自分のせい」

 2026年北中米ワールドカップ(W杯)のアジア2次予選がスタートし、森保監督率いる日本代表は11月16日のミャンマー代表戦、21日のシリア代表戦でともに5-0と快勝した。「FOOTBALL ZONE」ではW杯アジア2次予選の特集を組むなか、日本代表「10番」の役割を掘り下げる。(文=元川悦子)

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 2026年北中米W杯への第一歩となった11月の2次予選・ミャンマー(吹田)&シリア(ジッダ)2連戦。日本はどちらも5-0で圧勝し、幸先のいい滑り出しを見せることに成功した。

 今回はその試合内容以上にシリア戦の放映権問題がクローズアップされた印象もあるが、2023年3月に発足した第2次森保ジャパンが前向きな方向に進んでいるのは確か。2024年1~2月のアジアカップ(カタール)でのアジア王者奪還、そして2年半後の2026年W杯での躍進も夢ではないと言っていい。

 ただ、1つ気になるのが、エースナンバー10を付ける男・堂安律(フライブルク)の現在地である。

 10月シリーズは親知らずの治療で選外となった彼は今回2試合に出場。ミャンマー戦は先発フル出場し、最後の最後でダメ押しとなる5点目をゲット。アカデミー時代から所属したガンバ大阪の本拠地・パナソニックスタジアム吹田で代表初ゴールを決め、本人も安堵感を覗かせた。

 しかしながら、遠藤航(リバプール)、伊東純也(スタッド・ランス)、久保建英(レアル・ソシエダ)ら主力級が揃ってスタメンに名を連ねたシリア戦は後半31分から登場し、仕事らしい仕事ができずに終わってしまった。

 本人も「スタメンじゃなければイライラします。でも誰のせいでもないし、全部自分のせいなので、自分に焦点を合わせながらやるしかない」と、なんとか割り切ろうとはしている。

 その反面、「10番を付けている以上、ずっとスーパーサブで居続けるわけにはいかない」という危機感も強いはず。10番を付けているから、常に彼は特別視される。それが、モチベーションでもあり、プレッシャーにもなってしまうということなのだろう。

10番の先人たちも苦しんだ見えないプレッシャー、森保監督が託した想いと厚い信頼

 10番のスター選手は、常に難しい立場に立たされてきた。長い歴史を辿れば、1998年フランスW杯の名波浩(現・日本代表コーチ)、2006年ドイツW杯・10年南アフリカW杯の中村俊輔(現・横浜FCコーチ)、14年ブラジルW杯・18年ロシアW杯の香川真司(C大阪)、22年ロシアW杯の南野拓実(ASモナコ)といった面々が目に見えないプレッシャーとの戦いを強いられ、苦しんだ。

 このうち、98年の名波、18年の香川は実力をある程度は発揮した印象だが、それ以外は本来の能力とはかけ離れた出来に終始してしまった。10年の中村、22年の南野はまさかのサブに甘んじる形になったのだ。

「『10番は気にしてない』と僕は考えていたし、そう言い続けてきましたけど、やっぱり周りの声がどうしても耳に入ってくる。自分的にも『やらないといけない』って気持ちがあったから…」と南野は1年前の心情をこう振り返ったが、カタールW杯当時と現在では彼自身の精神状態が大きく違っているのは間違いない。

「今は森保(一監督)さんの代表に初めて入った2018年の時みたいにチャレンジャーでいられる。何も考えずにサッカーできている」とも南野は語っていたが、重荷を下ろして「素の自分」に戻った今は非常にリラックスしてプレーしていることがよく分かる。

 森保監督は「背番号でサッカーするわけではない」と口癖のように話しているが、長い代表の歴史を実際に見てきて、10番がどういう足跡を歩んだかよく分かっている。だからこそ、新体制スタートの今年3月シリーズでは10番を空番にして、誰が相応しいかを吟味した。その結果、6月に堂安に与えることを決めている。

「選手がこの背番号を背負ってプレーすることが少しでもいいモチベーションになればと考えて決めています。基本的には2026年までやってもらうと考えていますが、状況によっては代えてもいい。パフォーマンスだったり、チーム全体を見て、代えるべきだと思ったらそういう判断をします」

 森保監督は今夏、こんな話をしていたが、その段階では同ポジションの伊東が絶対的エースに君臨していることも分かっていたはず。それでも、あえて堂安に決めたのは、「堂安なら先人たちが直面してきた重圧を跳ね除けられる強靭なメンタリティーを持ち合わせている」という強い信頼があったからではないか。

「W杯で不振に陥る」ジンクスを破れるか 求めたいのは闘争心を前面に出した前進

 どんな逆境にいても、自分らしさを失わず、カタールW杯のドイツ・スペイン戦のようなここ一番で大仕事をしてくれる堂安だからこそ、10番を背負うのに相応しいと太鼓判を押されたと考えていい。

 そのメッセージを堂安自身も10月シリーズで選外になった間、しっかりと受け止め、どう立ち振舞うべきかを真剣に考えたはず。ミャンマー戦で数々の決定機を逃しながらも、決してアグレッシブさを失うことなく、果敢にゴールに突き進む鼻息の荒さを見せ続けたのも、指揮官の期待に応える責務があると実感していたからだろう。

「代表10番を背負うたびにW杯で不振に陥る」といった負の連鎖があるのは事実だが、誰かがそのジンクスを打ち破っていかないと、いつまでもネガティブなイメージは拭えない。今の堂安は伊東の控えという位置づけにいるが、短時間でもゴールを奪えるし、局面をガラリと変える仕事ができる。その役割を遂行し、結果を出し続ければ、誰も文句は言わなくなる。

 仮に2026W杯、2030年W杯で合計3ゴール以上を挙げ、本田圭佑を越えるようなことがあれば、堂安は偉大な10番として歴史に名を刻む。そういう可能性を秘めていることを自覚し、今の立ち位置にめげず、前進を続けていくことが肝心だ。そういった強気のマインドを示し続けることこそが、日本代表10番の一番の役割なのかもしれない。

 今後、エースナンバー10を背負う人間は目に見えないプレッシャーに絶対に負けてはいけない。好結果を出せるか否かに関わらず、闘争心を前面に押し出し続けられるような勇敢さを現10番の堂安にはまずは求めたいところである。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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