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“ローマの王子”トッティ、中田英寿との“共闘時代”を回想 「役割がほぼ同じで監督は同時起用が難しかった」
「DAZN」の企画でローマ時代以来の再会
かつてイタリア1部の強豪ASローマで共闘した元日本代表MF中田英寿氏と元イタリア代表FWフランチェスコ・トッティ氏が、スポーツチャンネル「DAZN」の企画で再会。さまざまな話題に花を咲かせた。
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現役時代、1999-2000シーズンの冬に中田氏はペルージャからローマへ移籍。トップ下のポジションをトッティ氏と争う形になっていたが、ボランチに中田氏が回ることもあった。そして、翌シーズンは外国人枠の関係もあって中田氏がスタンドから試合を見守ることも増えたが、シーズン終盤にそのレギュレーションが変更。優勝を争うユベントス戦でトッティ氏に代わって入った中田氏が強烈ミドルで1得点し、さらに中田氏のシュートのこぼれ球から同点ゴールが生まれた。この試合が大きな結果となり、ローマはこのシーズンのリーグ優勝を果たした。
ローマで“王子”と呼ばれたトッティ氏が君臨するなか、中田氏はこのシーズン限りで移籍。それ以来の再会になった。近況報告をする両者には笑顔があった。トッティ氏は来日にあたり「日本に行くなら、中田がいれば会いたいと思っていた」と話し、出迎えた中田氏も「あとにも先にも、トッティほどボールを蹴るのが上手い選手は見たことがなかった」と語った。そのうえでトッティ氏は「役割がほぼ同じだったから、監督は同時に起用するのが難しかったんだ」と、当時のポジション争いについて触れた。
当時スター軍団だったローマについて「日曜日の試合より練習試合のほうが大変」と話したトッティ氏は、出場機会を求めて優勝後に移籍した中田氏の決断に理解を示す。一方、トッティ氏自身も、2004年にスペイン1部レアル・マドリードへの移籍を考えたとし、「あの時はちょっとだけ心が動いた」と振り返る。それでも残留したことを「ファンにとっても街にとっても自分自身にとっても正しい選択だった」と話し、2人で笑い合っていた。そして、伝説のユベントス戦についてトッティ氏は「彼が入った途端に流れが変わった。1点目も2点目も彼が決めたみたいなものだよ」と言及。そして「あの日は中田がサッカー史に名を刻んだ、中田のための夜だったね」とその活躍を称えていた。