「なでしこW杯優勝」の陰で味わった無念 16歳の“超新星”岩渕真奈が直面した苛立ちと焦燥「取材を受けなかったり…」【コラム】

ドイツW杯の優勝を経験した岩渕真奈【写真:早草紀子】
ドイツW杯の優勝を経験した岩渕真奈【写真:早草紀子】

飛び級招集で一躍脚光を浴びた岩渕、16歳でなでしこジャパンデビュー

 なでしこジャパン(日本女子代表)で長らく活躍し、女子ワールドカップ(W杯)に3度出場したFW岩渕真奈が、9月1日に30歳で現役引退を発表した。代表で10番を背負い89試合36ゴールの成績を残したアタッカーは、日本女子サッカー史に名を刻んだ。国内外で実績を残した「ぶっちー」(岩渕の愛称)の紆余曲折に富んだキャリアを、当時のエピソードや写真とともに振り返る。(文=早草紀子/第2回)

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 岩渕真奈がなでしこジャパンのユニフォームに初めて袖を通したのは2010年に日本で開催された東アジア選手権、16歳の時だった。国際サッカー連盟(FIFA)がその活躍を大絶賛したことで、U-17世代の岩渕の飛び級招集はメディアからも注目を浴びた。

 なでしこジャパンはこの翌年にW杯を制することにはなるのだが、この時はその予兆など欠片も感じられない状態で、実際にはこの年に開催された女子アジアカップで3位に入り、ギリギリでラスト1枚の出場権を手にした。なでしこジャパンはW杯決勝トーナメント進出を第一目標に設定するのが妥当な位置づけだった。

 当時の佐々木則夫監督は岩渕をそんなチームの起爆剤として育てたかったのだろう。ポジション柄、すべての戦術をこなすことが難しくても、スーパーサブとして国際大会基準を経験させることはできる。代表デビューとなった日本開催の東アジア選手権では、ピンポイント起用で緊張をほぐし、格下のチャイニーズ・タイペイ戦ではスタメンに大抜擢された。この試合のテーマは「若い選手(岩渕)に国立という大舞台での試合を経験してもらうこと」だと、試合後に澤穂希は語った。

 その言葉どおり、ピッチ上ではありとあらゆる形で岩渕にボールが集められた。「ほら、このパスでゴールを取ってきてごらん」というようなお膳立ての数々だったが、若き日の岩渕もそう簡単に代表ゴールを決めることはできない。それでも周りの選手は諦めずに岩渕にフィニッシュを任せ続けた。

 ようやく生まれた岩渕の初ゴール=先制点は、宮間あやからの絶妙なパスから。岩渕以上に周りの選手たちが喜ぶ現象も珍しいものだった。当時の女子選手にとっては日本国内で試合をすることも少なく、ましてや国立競技場でプレーするなど、特別な出来事だ。その一戦をある意味、岩渕に捧げたとも言える。

 それだけ岩渕に対する期待値は高く、しっかり育てなければならないとチームが感じていることが伝わってきた。岩渕本人も「試合前はかなり緊張していたので、その分、2ゴール決めることができて嬉しい。でも大好きな(リオネル・)メッシみたいにもっとドリブルしていきたいです」と純粋に喜びを表現していた。

体格差のある相手選手と真っ向勝負【写真:早草紀子】
体格差のある相手選手と真っ向勝負【写真:早草紀子】

現場でも痛々しいほど伝わった岩渕の葛藤、W杯優勝も残った不完全燃焼の悔しさ

 しかし、U-17世代で世界から注目され、国内で代表デビューした“高校生の期待の新星”として脚光を浴びた岩渕は、極端に変わっていく周りの視線に戸惑う。それもそのはず。まだ代表として戦うことの意義も何も感じ取れないほど、歩み出したばかりの時期だ。代表で2ゴールを挙げたとはいえ、自ら何かを切り開いたうえでのゴールだと胸を張れるものではない。未熟さを分かっているからこそ、ほかのチームメイトとの実力、経験値の差を度外視した注目度に苛立ちや焦燥、さらに言えば怖さもあったに違いない。

 この流れのまま、岩渕にとって実質的にトップレベルで初の世界大会、あの2011年の女子W杯の戦いが始まったのである。耐えられなくなった岩渕はメディア対応を拒むようになる。「2011年の大会で取材を受けなかったり、プレーも含めてわがままなサッカー人生だったと思うんです。時にはちょっと嫌だなって思う記事も見かけながら(笑)、それもパワーになったので感謝したいです」と、引退会見でもこの当時を苦笑いで振り返っていた。

 ただ当時の彼女の葛藤は現場でも痛々しいほどに伝わってきた。未熟さは承知の上。それ以上の覚悟を持って代表のユニフォームに袖を通していた。「年齢は関係なく、ここに立っている以上ゴールを決めることが自分の責任だと思ってます」。最年少の岩渕は常に自分に言い聞かせるようにこう繰り返していた。

 ただ努力でどうにもできないことがある。この頃から岩渕を苦しめていた怪我がその最たるものではなかったか。ドイツの地で怪我により別メニューに励むその背中は、自分に対しての苛立ちに染まっていた。限られた時間でも、チャンスは与えられた。岩渕の初めてのW杯は、“優勝”という輝かしさのなかに、不完全燃焼の悔しさが色濃く残った大会でもあったのだ。

※第3回へ続く

[プロフィール]
岩渕真奈(いわぶち・まな)/1993年3月18日生まれ、東京都武蔵野市出身。2005年、日テレ・ベレーザの下部組織メニーナに加入し、07年に14歳でトップデビュー。08年にリーグ新人王を受賞し、同年のU-17女子W杯で3試合2ゴールの活躍を見せ、ベスト8敗退も大会MVPを受賞。10年に16歳でA代表初招集を受け、同年2月6日の中国戦でデビュー。12年11月にホッフェンハイム、14年5月にバイエルン・ミュンヘンへ移籍。負傷が続いたなか、17年6月にINAC神戸レオネッサ移籍で国内復帰し、20年12月にアストン・ビラ、21年5月にアーセナル、23年1月にトッテナムへ移籍し、23年9月に引退を発表。2011年のドイツW杯はチーム最年少18歳で招集され、決勝のアメリカ戦も途中出場で優勝に貢献。15年のカナダW杯(準優勝)、19年のフランスW杯(ベスト16)でプレー。12年のロンドン五輪(銀メダル)、21年の東京五輪(ベスト8)にも出場した。

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早草紀子

はやくさ・のりこ/兵庫県神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサポーターズマガジンでサッカーを撮り始め、1994年よりフリーランスとしてサッカー専門誌などへ寄稿。96年から日本女子サッカーリーグのオフィシャルフォトグラファーとなり、女子サッカー報道の先駆者として執筆など幅広く活動する。2005年からは大宮アルディージャのオフィシャルフォトグラファーも務めている。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。

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