日本人の一致団結力に感嘆 鳥栖スタッフが回想する“静かなる闘将”の素顔とジャパニーズ愛【インタビュー】

現役時代の鳥栖でプレーする尹晶煥氏【写真:(C)S.D.CO.,LTD.】
現役時代の鳥栖でプレーする尹晶煥氏【写真:(C)S.D.CO.,LTD.】

鳥栖で16年間プレーした高橋義希SROが“元相棒”の尹晶煥の素顔を語る

 Jリーグの歴史を語るうえで、外国籍選手の存在は欠かせない。プレーヤーとしての実力はもちろんのこと、日本の生活や文化に馴染もうと努め、活躍につなげた例は多い。「FOOTBALL ZONE」では、「外国籍選手×日本文化」の特集を組むなかで、サガン鳥栖で計16年間プレーし、引退後はサガン・リレーションズ・オフィサーを務める高橋義希氏に記憶に残る外国籍選手を直撃。後編では、選手としても、監督としても、クラブの歴史に名を刻んだ尹晶煥氏(ユン・ジョンファン/現江原FC監督)について訊いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史/全2回の2回目)

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 2004年に松商学園高から鳥栖に加入した高橋氏は、3年目の2006年に20歳の若さでキャプテンに就任。ボランチでコンビを組み、当時クラブ最高位となるJ2リーグ4位の躍進を支えたのが尹晶煥だった。「2002年の日韓ワールドカップ(W杯)の韓国代表メンバーに選ばれたなかでも、テクニシャンタイプというか、少し異質なプレースタイルだった気がします」と静かなる闘将の印象を振り返る。

「僕が3年目でキャプテンをやらせてもらって、開幕4試合で1分3敗となかなか勝てないなか、ベテランとキャプテンで集まったミーティングの中で、僕に厳しいことを言ってくる先輩もいました。ただ、尹さんは『お前がキャプテンなんだから、俺はどんなことがあってもお前についていく。お前の好きなようにやればいいし、それを俺はサポートするだけだよ』と言ってくれたのは、すごく大きかったです」

 そんな尹晶煥の言葉は、高橋が2004~09年、12~21年に在籍した鳥栖において、無尽蔵のスタミナを生かしてチームの中核を担ううえで、大きく背中を押した。06、07年と2年間共闘したなかで、練習やプレーへのアプローチが記憶に残っているという。

「当時、練習が終わってから1分間くらい、選手たちが自分の話をする習慣があったんです。尹さんは自分の言いたいことを紙に書いてきて、チーム状況であったり、これからどうしていったらいいと、みんなに伝える姿は印象的でした。プレースタイルも凜としているようで、熱くなったらガチャンと激しくいく。スイッチが入ってしまうと、止められないくらいに熱くなる(笑)。プレーとのギャップは見ていて参考になりましたし、選手としてずっとお手本にしていました」

尹晶煥は「日本が大好き」

ボランチでコンビを組んだ尹晶煥氏(左)と高橋義希氏【写真:(C)S.D.CO.,LTD.】
ボランチでコンビを組んだ尹晶煥氏(左)と高橋義希氏【写真:(C)S.D.CO.,LTD.】

 2000~02年にセレッソ大阪でもプレーしていた尹晶煥は、07年に現役引退。鳥栖のテクニカルアドバイザーやコーチ、ヘッドコーチを経て、11年には監督に就任。鳥栖で3年半、C大阪で2年(18~19年)、ジェフユナイテッド市原・千葉で2年(20~21年)と日本で長くサッカーに携わった。高橋氏は、「尹さんは日本で長くプレー、指導されていて、日本が好きなんだなと思います」と語る。

「サッカー選手だと我が強くて、いろんな方向を向いてしまうことは結構あると思うんですけど、チームとして1つにまとまって、目標に向かってアプローチできる日本人は凄いとおっしゃっていました。サガン鳥栖を離れても、セレッソ、ジェフで指揮を執って、日本のことがすごく大事なんだなと。特に、サガン鳥栖のことは大好きなんじゃないかなと僕は思っています(笑)。

 尹さんは日本語を結構話せるのに、インタビューだと全然(日本語を)話さないんです(笑)。僕はコミュニケーションを取る時に通訳を介したことはないです。みんなの前で話す時であったり、監督になってからは絶対に通訳を入れていましたけど、ミーティングの中で、『それは分かっているでしょ』ということを通訳してもらっていたのは面白かったですね。尹さんは日本語を分かっているし、逆に通訳も緊張するんじゃないかなと思いました」

イバルボは「可愛い感じの人間性」

2017~19年まで鳥栖でプレーしたビクトル・イバルボ【写真:Getty Images】
2017~19年まで鳥栖でプレーしたビクトル・イバルボ【写真:Getty Images】

 鳥栖で計16年間プレーした高橋氏は、尹晶煥、元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス(現アトレティコ・マドリード・フベニールA監督)のほかに、「強烈だった」と感じた外国籍選手に、2017~19年に在籍した元コロンビア代表FWビクトル・イバルボ(現アメリカ・デ・カリ)の名前を挙げた。

「イバルボのプレーは本当にすごくて化け物でした。キャラクターはもう見たままというか賑やか。常に騒いでいるわけではないですけど、陽気な時は陽気だし、可愛い感じの人間性でした(笑)。彼とはたわいもない話ばかりしていましたけど、チームに対して厳しく言わなきゃいけない時は、強く言ったことも1回ありました。そういう面もあるんだなと、びっくりした記憶があります。あと、フェルナンド(トーレス)とは違って、日本食はあまり食べていなかったです」

 1997年に創設され、99年からJリーグを舞台に戦う鳥栖。クラブの歴史を彩ってきた数々の外国籍選手たちは、人々の心にしっかりと刻まれている。

(文中敬称略)

[プロフィール]
高橋義希(たかはし・よしき)/1985年5月14日生まれ、長野県出身。鳥栖―仙台―鳥栖。J1通算268試合6得点、J2通算242試合20得点。ハードワークを厭わず、攻守でチームを支えた不屈のボランチ。2006年には20歳の若さでキャプテンを任されるなど、鳥栖のハート&ソウルとして長年チームを支えた。2021年限りで現役を引退し、22年1月からサガン・リレーションズ・オフィサーとして活動する。

(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)



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