なぜ選手はトレーナーに心を開くのか? 欧州クラブで働く日本人専門家が語る理由「実は…と言ってもらえる」【インタビュー】
オーストリア女子クラブでトレーナーを務める原辺允輝氏、治療中に得る「大事なヒント」
オーストリア女子ブンデスリーガ1部ザンクト・ペルテンでトレーナーを務める原辺允輝氏。UEFA女子チャンピオンズリーグ(女子CL)の常連であり、欧州女子サッカークラブランキングで14位につけている強豪クラブでトレーナーとして活躍する原辺氏は、選手たちがトレーナーに「心を開く現象」について、自身の経験談も交えながら語っている。(取材・文=中野吉之伴/全2回の2回目)
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昔、ドイツサッカー協会公認A級指導者ライセンス対象の指導者講習会に来た心理学者が興味深いことを話してくれた。
「選手が心の奥底から気持ちを開いて、自分のことを自然に喋るいくつかのシーンがあります。そのうちの1つが、優れたマッサージを受けている時なんです。自分の身体だけではなく、心もゆだねている瞬間で、相手と話をするというよりも頭の中で思っていることを口にどんどん出したくなるという現象が起こるんですね。そうした状態になれると、人はとてもリラックスすることができるんです」
女子CLの常連でオーストリア・女子ブンデスリーガ1部ザンクト・ペルテンで女子チームのトレーナーを務める原辺允輝に、そのあたりについて尋ねてみた。女子CL常連チームの選手に治療をしている時、そうした現象を感じることはあるのだろうか。
「あります。自分が意識していることは、マッサージ中に話されていることはすべて聞き入れるということ。自分の意見があったとしても、『それは違うんじゃない?』とか言わずに、『へぇ、そうなんだ』って。その選手がもっと話したくなるようなことを意識しています。そういう関係性があると、『実はここ痛かったんだよね』ということも言ってもらえるので、それは治療の大事なヒントになります」
プロ選手は誰でもストレスとプレッシャーとの付き合い方が大切とされている。調子がいい時は多少のストレスやプレッシャーは重荷に感じないが、チームが勝てていない時、不安になるようなことが周りで起きている時は、自分で思っている以上の負担がのしかかってくる。だからこそ、少しでも心からリラックスできる場所があるというのはとても貴重なことなのだ。
「例えば、以前所属していたインスブルックが残念ながら経営破綻になってしまった時、さすがにクラブ全体の雰囲気が暗くなっていたんですね。そうなるといつもだったら練習開始1時間前にみんな来るのに、それがどんどん遅れていく。自分にできることには限りがあるんですけど、でもみんなにはいつでも笑顔になってもらえるようにというのは意識して、愚痴でも不安でもなんでもいいから話してもらえるように気を配っていました」
非言語的コミュニケーションも向上、FW二田理央も証言「本当に聞き上手」
アドバイスが必要なのではなく、聞いてくれる相手が僕ら人間には必要なのだ。それにしても、そうした対処はどこまで自然にできるものなのだろうか。笑顔になってもらうためにと言って、空気を読めないニコニコ顔は逆に相手の気に障ることだってあり得る。トレーナーの原辺にとって、カンボジア時代に培った経験が大きかったそうだ。
「当時は最初英語もまったくできなくて。よく行ったな、と今になって思いますね(苦笑)。カンボジアでは3シーズン、スペイン人監督の下で仕事をしました。1年目は言葉もできないし、選手を安心させるような雰囲気作りも、表情作りも何もできていなかったんです。だから監督からも『来季このままだったらもう契約したくない』って言われて。何か変えないといけない。語学はすぐ伸びないけど、雰囲気とか表情とかは意識をすれば、少しずつ変えることができると思って、取り組むようにしました」
原辺の下で定期的に治療を受けるFW二田理央(ザンクト・ペルテン)もその腕を認める。
「自分も治療している時にいろいろ話すんですけど、本当に聞き上手というか、なんでも聞いてくれて。僕も知らないうちにいろいろ話していますね。治療の必要はないけど、話に行きたくなるみたいな感じがあります。もちろんマッサージも針もとても素晴らしいです。丁寧ですよね。ちょっとしたこともしっかりとやってくれます」(二田)
チーム全体の雰囲気を常に観察して、マッサージに来る選手は今どんな気分か思いを巡らせ、気を配る。のんびりしていいよね、笑ってもいいよね、という空気作りを心掛ける。そしてヨーロッパに来てからは重要な非言語的コミュニケーションを身に付けたという。
「ウィンクとか覚えましたね。最初は慣れてないから上手くできなかったけど、それならもう両目つむってやって(笑)。そうしたコミュニケーションの取り方はとてもアップグレードされたと思います。大事なんですよね、とても。そういうのができないと、多分コミュニケーションの前提として壁を作られると思うんですね」
原辺の言うように欧州におけるコミュニケーションでウィンクというのは日常からよく使う。タイミング良くスムーズにウィンクができると、友好的な関係を築きやすい。最初はどうしてもぎこちなくなってしまうだろうが、言語力と並んでこうした非言語的コミュニケーションが大切なのは間違いない。
欧州サッカー界で描く未来図、ドイツのボルフスブルクへ「行きたい思いはあります」
欧州で少しずつ経験を積み重ねる原辺。クラブの居心地はいい。刺激にもあふれている。自身のこれからにどんなビジョンを持っているのだろうか。
「僕の将来ビジョンは、そうですね。去年女子CLのグループリーグでボルフスブルク、ASローマと対戦して、女子サッカーのトップは今、ものすごくお金が動いていて、観客も入っていて、サッカーのレベルも高いというのを実感させられました。ザンクト・ペルテンがボルフスブルクと業務提携をしているので、行きたいなという思いはあります」
日本を飛び出した5年前に今の自分が想像できなかったように、5年後の自分がどうなっているかは分からない。でも自分の人生は自分で切り開く。切り開くためには日々の生活を大切に過ごすこと以上に大切なことはない。これから世界の舞台でどんな未来図を描いていくのか。その挑戦はワクワクで満ちたものであってほしいし、原辺のような若者のチャレンジを応援する社会であってほしいものだ。(文中敬称略)
[プロフィール]
原辺允輝(はらべ・よしき)/大阪府出身。カンボジアのアンコールタイガーFC、オーストリアのヴァッカー・インスブルックを経て、2022-23シーズンよりオーストリア女子ブンデスリーガ1部ザンクト・ペルテンでトレーナーを務める。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。