12年ぶりの東京ダービー、あまりに対照的だった条件 どちらが多くの「収穫」を得たのか?

12年ぶりに実現した東京ダービー【写真:Getty Images】
12年ぶりに実現した東京ダービー【写真:Getty Images】

【識者コラム】天皇杯で激突したFC東京と東京V、スタメンの起用法に見えた違い

 東京ダービーを制したFC東京が、天皇杯でベスト16に駒を進めた。互いに9人のキッカーが登場したPK戦で競り勝っただけに、ピッチ上の選手たちは全員が弾けるように歓喜を爆発させていた。

 しかしせっかく12年ぶりに実現したダービーマッチは、あまりに条件が対照的だった。
12年間J1に定着しているFC東京は、4日前の浦和レッズとのリーグ戦からスタメンを2人変更したに過ぎない。確かに故障者リストは膨れつつあるが、就任から4戦目になるピーター・クラモフスキー監督が描く固定に近いベストの布陣で臨んだ。

 それに対し最近15年間はJ2での戦いが続く東京Vは、厳しい日程の中で苦肉の策を採るしかなかった。東京ダービーは、中2日での4戦目。しかもこの試合を終えても、さらに中2日で5試合目のリーグ戦が控えていた。結局東京Vは、3日前に東京・国立競技場でJ2首位のFC町田ゼルビアと激闘をした主力の大半を休ませて、スタメンはフィールドプレイヤー全員を入れ替えてフレッシュなメンバーで臨んだ。

 初めて東京の両チームを指揮することになった城福浩監督は、キャリアでは見劣りする東京Vの選手たちを「同じ条件で戦いたかったら、同じカテゴリーでやるしかないんだ!」と奮い立たせて送り出したという。実際に「試合に飢えた選手たち」(同監督)は、意欲的に前線から食い下がった。だがコンスタントにJ1のピッチを経験しているFC東京の選手は、試合勘でも心のゆとりでも優位に立ち、バイタルエリアで滅多にないほどフリーな状況で横パスを受けた塚川孝輝が、心地良く右足を振り抜き均衡を破った。

 その後も試合はFC東京のペースで進んだ。ボールは支配していたので、後半早めのタイミングで放ったディエゴ・オリヴェイラのシュートがクロスバーに阻まれなければ、そこで決着していたに違いない。東京Vにとって最大の武器は、左SB(サイドバック)アルハンのロングスローで、思う存分アクチュアル・プレイング・タイムを削り取ったあとに相手ゴール前を混乱に陥れていた。アカデミーも含めた両クラブの歴史を振り返れば、東京Vが足もとではなく好んで浮き球で勝負に出たあたりに歴史の明暗が滲んでいた。

 ただしそれでも東京Vは連綿と繋がる育成の伝統を生かし、交代出場した18歳の白井亮丞が最初のタッチで同点ヘッドを叩き込む。一方追い付かれたあとのFC東京には、均衡状態を打破する期待値の高いカードが見当たらず、オリヴェイラの疲弊とともにゴール前が創造性を失い滞った。

東京ダービーというタイトルに大きな重圧? 「安定」優先に傾いていた采配

 確かに格上のFC東京にとっては、チャレンジャーの立場が明確な東京Vに比べ難しい試合だったはずだ。だが120分間以上も「ヴェルディだけには~、負けられな~い」と大合唱が続けば、モチベーションに問題があったとも考え難い。

 後半は左サイドでドリブルでの仕掛けが得意な俵積田晃太に代えて東慶悟、右サイドからトップ下でプレーして来た渡邊凌磨を下げると、塚川をワイドに出して安部柊斗をトップ下に上げるのだが、こうした交代や配置換えが適材適所だったかと言えば疑問が残る。期待の熊田直紀もスコアが動かないため、オリヴェイラが完全に燃料切れとなる延長後半まで出番を引っ張るしかなかった。

 こうして見ると、東京ダービーというタイトルに大きな重圧を受けたのは、クラモフスキー監督のほうだったかもしれない。同監督はメンバー選びの基準を「フレッシュと安定のバランス」と語ったが、采配を見れば明らかに「安定」優先に傾いていた。

 確かにカップ戦は次のステージに進むことが大切だが、反面新しい戦力に経験を積ませて成長を促す格好の機会でもある。監督が代わると、最初の数試合では効果が見えやすい。ところが負けない試合が続くと、指揮官は本来実践するべき改革を先送りにして、守りに入ってしまいがちだ。天皇杯3回戦の結果を俯瞰してもJの団子状態は2部まで繋がりつつあり、ほんの少しでも歯車が狂えば、優勝候補が一転して降格圏に接近するのもよくある話だ。

 久しぶりのダービーに勝利したFC東京側は、選手、スタッフ、サポーターが揃って快哉を叫んだ。しかし現実は、故障者を除けばベストメンバーで戦ったFC東京が、普段出場機会を得られていない選手たちで立ち向かった東京Vを崩し切れずに分けた。どちらがこの一戦から多くの収穫を得られたのかは、しっかりと検証する必要がある。

page1 page2

加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング