J助っ人、成功&失敗の分かれ目は? 元日本代表が解説、年代別セレソン“元10番”は「一番凄かった」
【専門家の目|栗原勇蔵】いかに練習から10割の力を発揮させるか
Jリーグは今年で30周年の節目を迎えた。リーグのプロ化により、日本サッカーは紆余曲折を経て発展を遂げてきたなか、レベルの向上へ一役買ってきた存在として忘れてはならないのが、世界各国から日本にやって来た外国人助っ人たちだ。今回、「FOOTBALL ZONE」ではJリーグ助っ人特集を実施。現役時代に横浜F・マリノス一筋18年で過ごした元日本代表DF栗原勇蔵氏に、助っ人の成功と失敗を分けるポイント、そして印象に残る助っ人を訊いた。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)
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横浜FMは前身の日産自動車サッカー部時代、1987-88シーズンに、ブラジル代表のキャプテンも務めたDFオスカーを獲得。翌88-89シーズンのJSL(日本サッカーリーグ)を初優勝するとともに、カップ戦、天皇杯も獲得し、国内三冠を達成した。
日産自動車から横浜マリノスに改称し、1993年に開幕したJリーグのオリジナルメンバーとなったなか、チームに残ったのはブラジル人MFエバートン。その後、世界的ストライカーとして名を馳せていた元アルゼンチン代表FWラモン・ディアスが加わり、Jリーグ初代得点王(28ゴール)に輝いてその名を刻んだ。
95年のJリーグ初優勝は、アルゼンチン代表で10番を背負ったこともあるMFダビド・ビスコンティ、MFグスタボ・サパタ、FWラモン・メディナベージョというアルゼンチン代表経験組の助っ人の働きによってもたらされた。
元スペイン代表MFフリオ・サリナス、元韓国代表MFユ・サンチョル、ブラジル人DFドゥトラ、ブラジル人FWマルキーニョス、元韓国代表FWアン・ジョンファン、ブラジル人FWアデミウソン、タイ代表DFティーラトン……、現在の横浜FMで言えば、DFエドゥアルド、FWエウベル、FWマルコス・ジュニオール、FWアンデルソン・ロペス、FWヤン・マテウスとブラジル人選手が5人在籍している。
現役時代に多くの助っ人とプレーした元日本代表DF栗原氏は、「日本のスピード感に合う、合わないとか、能力・プレー面のこともあるとは思いますけど、一番はいかに全力を出させるか」を、成否を分けるポイントに挙げた。
「言い方は少し厳しくなりますが、出稼ぎ感覚で、7割・8割でやればいいかとなると、“ハズレ外国人”になる可能性が高いです。才能を秘めた選手が10割でやるからこそ、いい選手になるわけですけど、それはチームの雰囲気や監督の手腕によるところが大きい。F・マリノスで活躍する外国籍選手が近年多いのも、アンジェ(・ポステコグルー/現セルティック監督)の功績だと思います。練習から常に全力でやらせる、やらなきゃ外す、とはっきりしていました。
その選手の名誉のために名前は出さないですけど、ブラジル人選手で、日本で対戦した時はまったくダメで『なぜこんな選手を獲ったんだろう』という印象だった選手が、韓国のチームに移籍してACL(AFCチャンピオンズリーグ)で対戦した時にすごくいいプレーをしていたんです。モチベーション1つでこんなに違うんだって。全力を出した時のブラジル人選手は怖いなと改めて体感しました」
「運転手をつけていた」元韓国代表FWアン・ジョンファンに驚き
栗原氏は、2000年代前期に関して「今とサッカーも違い、基本的に破天荒な時代」と振り返ったうえで、日韓ワールドカップ(W杯)後、清水エスパルスへのレンタルを経て、2004年に完全移籍で横浜FMへ加入した韓国代表FWアン・ジョンファンは、当時若手の自分にとって印象に残る存在だったと明かす。
「アン・ジョンファンはめちゃくちゃスーパースターでした。韓国人選手は日本人よりも先輩・後輩に厳しい。食事に連れて行ってくれたこともありましたけど、自分もまだ若手で寄りがたいオーラみたいのは感じました。でも、あの時代はそれも1つの武器でした。とんでもないこともやるけど、結果を出してしまうのがかっこよく映る時代で、若手からしたら憧れもあった。運転手をつけてる選手を見たのも当時初めてでした。自分が運転しないで運転手をつけて練習場に通っているのを見て、これがプロなんだなと思いました」
人間性においては、ドゥトラやマルキーニョスを例に挙げ、「すごく真面目で、謙虚な選手だった」と言及。「日本人に対するリスペクトかは分からないですけど、そういう気持ちがない選手は良くてもすぐダメになる。オープンマインドでないと、周囲も取っつきにくくなってしまうので」と見解を述べた。
「マルキーニョスは何回か一緒にお酒を飲んだこともあります。たぶん、僕が知っている外国籍選手の中でもお酒に弱くて、すぐに酔ってヘロヘロになっちゃう印象(笑)。結果を出していくうちに、ロン毛風になったり、来日当初から外見も変わってかっこよくなっていって。8歳年上で意外に無口でしたけど、すごくいい人でした。鹿島アントラーズでは(2007~09年に)リーグ3連覇に貢献して、08年は得点王(21ゴール)、ベストイレブン、シーズンMVPを獲得。(歴代6位の)J1通算152ゴールという記録を見ても、日本で成功したブラジル人選手の中では、トップ3に入ると言ってもいいと思います」
ブラジル人FWアデミウソンは「上手さと馬力が違った」
栗原氏が見てきたなかで、「プレーが一番凄かった」と語るのは、2015年に期限付き移籍で加入したアデミウソン(武漢三鎮)だ。
「(2014年に)シティ・フットボール・グループと提携して、今まで見たことないようなレベルの選手、年代別セレソンで10番を背負ってる選手が来た時は本物だと思いました。上手さはもちろん、馬力が違いましたね。マリノスのサッカーに合う選手を獲るという方針が明確になったのも大きいとは思います。守備の選手では、DFチアゴ・マルチンス(ニューヨーク・シティ)ですかね。ああいう選手がブラジル国内にはゴロゴロいるのかと思うと末恐ろしいと思いました」
逆に、粗削りながら、“まさに助っ人”のイメージを受けたのが、2017~18年に在籍したポルトガル人FWウーゴ・ヴィエイラ(ヒバーニアンズFC)だったという。
「ウーゴは、練習だと全然上手くないんです(笑)。ドリブルも上手くないけど、試合ではゴリゴリのプレーでとにかく得点を取る。紅白戦で対戦した時は、動き出しは速いし、ここに行ったら点を取れるという嗅覚がずば抜けていました。ハイライト映像では、いいシーンが中心に収録されているので、他チームの選手から『ウーゴ、いいよね』とよく言われました。試合をフルで見ていたら、実際は少し違うと感じたと思います(笑)。人間味があるいいヤツで、個人的に仲も良かった選手です」
Jリーグで次はどんな助っ人が台頭してくるのか、興味深いところだ。
(FOOTBALL ZONE編集部)
栗原勇蔵
くりはら・ゆうぞう/1983年生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。