中村俊輔、26年のプロキャリアに終止符 引退会見全文・Part4 「長友の姿勢には学ぶことがたくさんあった」

中村俊輔にとって”サッカー”とは?【写真:徳原隆元】
中村俊輔にとって”サッカー”とは?【写真:徳原隆元】

「代表の時にサンドニで0-5で負けて、このままじゃ置いていかれると気づいた」

 J2横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が11月10日、引退記者会見を実施した。26年におよぶプロキャリアに終止符を打った経緯、過去2度出場したワールドカップ(W杯)への思いなど、引退会見の全文をお届けする。

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――サッカーとは?

 生きがいですね、すべてですね。それに尽きると思います。

――凄いなと思った選手や後輩

 先輩は井原(正巳)さんと川口(能活)さん、マリノスでパッと新人で入ってすぐに気づいた。良くしてくれたし、プロってこうなんだと。しかも代表の上まで行くのはこうなんだと毎日見られたのは大きかった。あとはボンバー、中澤(佑二)さんですね。年下は、うーん、長友(佑都)さんですね。ビッグクラブに行く階段というのが、最初は大学生で太鼓を叩いていたのに強化指定でFC東京、そしてイタリアに行ってインテル、年数に対する成長の仕方が興味があって、よくそれについて話した。その向上意欲や私生活からのサッカーへの姿勢には学ぶことがたくさんあった。彼のことは尊敬できますね。

――ターニングポイントになった移籍は?

 イタリアに行った時と、マリノスを出た時ですね。イタリアに行く時は、日本で出なきゃと焦るくらいだった。当時は世界最高峰だったセリエAに行くのを焦るくらいだった。本場のサッカーに飛び込んだのは、良かったと思いますね。扉をようやく開けられた。代表の時にサンドニで0-5で負けて、このままじゃ置いていかれると気づいたし、やっとこの舞台でやれるというので、すごく光が見えた感じだった。

――40歳を目途に引退と話していたこともあったが、44歳での引退となった

 本当に周りの方々の支え、トレーナー、病院の先生は手術や注射など足首の状態が悪いなかを試行錯誤しながら、相談しながらどうするかと。それがあって長くできたと思う。今はやりつくしたというのがあったけど、まだ何かあるという気持ちでいられたのが大きいと思う。

――現役を終わって最初のオフはどうするか?

 現役の時は1週間くらいしか休まない。でも、変わらないと思う。身体を動かしちゃうと思う。仲間とサッカーをするだろうし、家族と旅行も毎年するようにしている。あまり変わらないと思う。来シーズンは今のところ決まっていない状態ですね。でも、サッカーに携わっていきたいと思う。

(中村俊輔からメッセージ)

 今まで所属してきた横浜マリノス、横浜F・マリノス、レッジーナ、セルティック、エスパニョール、ジュビロ磐田、横浜FCの選手、関係者の方々ありがとうございました。マスコミの方々もありがとうございました。日本サッカー協会のおかげで代表で良い経験もさせてもらいました。ありがとうございました。ファン、サポーターの方々がいて自分はここまで成長できたと思うので26年間一緒に戦って下さり、ありがとうございました。やり尽くしたという気持ち、すがすがしい気持ちで終われたので自分でもホッとした、良かったという気持ちです。26年間ありがとうございました。

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