日本代表とW杯…日本らしい時は勝てない傾向 期待が高くない分、期待できるというややこしい話に

日本代表のこれまでのW杯を振り返る【写真:高橋 学】
日本代表のこれまでのW杯を振り返る【写真:高橋 学】

【識者コラム】W杯というリトマス試験紙で国民性みたいなものが炙り出される

 日本代表のワールドカップ(W杯)初出場は1998年フランス大会だった。アジア予選の終盤に中田英寿という新しいスターが現れ、岡田武史監督の「1勝1分1敗」という言葉がいつの間にか肥大化して、1勝1分1敗でのグループリーグ突破がいつの間にかノルマみたいな扱いになっていた記憶がある。

 グループで同居したのはアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ。アルゼンチンにはさすがに負けそうだが、クロアチアには何とか引き分けてジャマイカに勝って1勝1分1敗というのが大方の予想というか願望だった。今から思えば、というか当時からそう思っていたが、かなり虫のいい話だ。そもそも勝点4で突破できるかどうかも分からないのだが、それ以上の結果を期待するのは無理なので1勝1分1敗でなんとかという妙に現実的なところもある願望である。

 確かにクロアチア、ジャマイカ、日本は初出場という点では同じだったが、クロアチアは旧ユーゴスラビア代表のメンバーがいて実力的には格上とみていい。自動的に1勝することになっていたジャマイカもそんなに簡単な相手でないのは分かりそうなものだが、ジャマイカに負けるなんて、うっかり言えない空気だったのだから不思議なものだ。

 日本では「空気を読む」とよく言われるけれども、空気を読みすぎてしまうのか、大方の意見や願望と反することを言えない雰囲気が形成されやすいのかもしれない。当時、筆者はフランスに在住していたのだが、面白いことにフランス人はフランス代表に関してとても悲観的だった。開催国なので一般的にはけっこう楽観ムードもあったのだが、サッカーに近い人ほど悲観的。ベスト4に入れば上出来で、優勝するのはどうせブラジルかドイツだろうと。ところが、準決勝でクロアチアを破ると、もう優勝は間違いないみたいな盛り上がり方に一変したのも印象的だった。なんだ、みんな本当は応援していたのかと、その時に気付いたくらいで、それまでの斜に構えたポーズからの豹変に驚かされたものだ。W杯というリトマス試験紙によって、いろいろな国の人々の国民性みたいなものが炙り出される。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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