鹿島伝説の助っ人DFジョルジーニョ、勝利のスピリットを植え付けたサッカー哲学とサポーターへの不変の愛

ジョルジーニョにとって、鹿島のサポーターは今も特別な存在だ【写真:Getty Images】
ジョルジーニョにとって、鹿島のサポーターは今も特別な存在だ【写真:Getty Images】

選手たちに「チャンピオンになれる」と信じさせたうえで、戦いに導くのが哲学

 その後も監督としての戦いは続いている。フラメンゴやヴァスコ・ダ・ガマといったブラジルのビッグクラブを手がけた際には、苦境に陥った強豪を立て直す手腕が話題となった。特にヴァスコ・ダ・ガマでは、まさかの全国選手権2部降格を喫したチームにあって、1年での1部復帰とリオ州選手権優勝を達成した。

「選手たちには、スタメンであろうがなかろうが、プレーするチャンスがあり、自分たちはチームの勝利のためにここにいるんだという意識を植え付けた。そして、自分のポテンシャルを信じることだと話したんだ。『誰も信じなくても、自分が信じなかったら、夢や目標は達成できない。だから、信じるんだ。僕らはチャンピオンになれる』とね。そのうえで、どう戦うかを導くのが監督の仕事だ」

 日本では、サポーターとの忘れられないエピソードがある。

「鹿島で思うような結果が出なくて、僕が解任されるという話が出た時のことだ。サポーターがフロントとの対話を求めたんだ。300人が集まって、そのうち30人が実際に話し合いに臨み、当時のフロントにこう言ったそうだ。『あなたがやりたいことは、何をやってもいい。でも、ジョルジーニョはここにいないといけない。なぜなら、彼はアイドルであり、ここで勝利を掴むんだから』とね。

 感動したよ。僕を信じてくれたサポーターに感謝ばかりだ。誠実に言って、あの1年で自分が去ってしまったのを今でも残念に思う。最終的に、鹿島は2年間の契約更新を準備してくれたのに、家族の問題で決断せざるを得なかった。だから、扉を開けておきたいんだ。僕の鹿島への愛情は永遠に続く。もし、いつか日本で、僕がほかのクラブと仕事をすることがあったら、対戦相手として再会し、互いに全力で戦うのもいいものだよ。それが、プロとしての僕の尊重であり、僕らの友情は一生続くものだから。そして、日本は僕の人生の一部なんだからね」

[プロフィール]
ジョルジーニョ/1964年8月17日生まれ、ブラジル出身。アメリカRJ―フラメンゴ―レバークーゼン(ドイツ)―バイエルン(ドイツ)―鹿島―サンパウロ―ヴァスコ・ダ・ガマ―フルミネンセ。右サイドバック、ボランチとこなし、攻守でチームを支えたユーティリティーで、ブラジル代表としてワールドカップ優勝も経験。鹿島在籍4年間でJ1リーグ通算103試合17得点。リーグ優勝を果たした1996年にはMVPとベストイレブンに輝いた。2022年5月18日に母国ブラジル1部アトレチコ・ゴイアニエンセの監督に就任。

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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