【名将秘話】「どっちなんだ?」当たり前の質問に怒り出したオシム 「高原や俊輔が疲れていて、負けても責められるのは監督だ」

元日本代表監督のオシム氏【写真:Getty Images】
元日本代表監督のオシム氏【写真:Getty Images】

【識者コラム/vol.1】2007年アジアカップ3位決定戦、パレンバンで夜中に前日会見

 1990年イタリア・ワールドカップでユーゴスラビア代表をベスト8へと導いたボスニア・ヘルツェゴビナ出身の知将イビチャ・オシム氏は2003年に来日し、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)の監督に就任。「人もボールも動くサッカー」というキーワードを掲げて05年にリーグカップを制すと、06年に日本代表監督に就任した。07年11月に病に倒れて表舞台から離れたが、日本サッカー界に衝撃を与えた名将の当時を振り返る。

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「パレンバンって、どんな街なの?」

 アジアカップ2007の3位決定戦はインドネシアのパレンバンで行われた。スマトラ島の南に位置する南スマトラ州の州都らしいが、取材仲間に行ったことがある人はいなかった。そして誰に聞いても帰ってくる答えは1つ。

「落下傘部隊」

 第二次世界大戦中、日本軍の落下傘部隊が奇襲をかけて制圧したところだという。ジャカ・バリンスタジアムは4万人収容のかなり大きなスタジアムだ。わざわざパレンバンに3位決定戦を持ってきたのも、このスタジアムがあるからだという話だった。

 タイ、インドネシア、マレーシア、ベトナムの共同開催だった2007年のアジアカップで、日本代表の試合はずっとベトナムのハノイだった。そして、ほとんどの取材者は決勝の地となるジャカルタへ移動する気まんまんだったのだが、日本は準決勝でサウジアラビアに敗れてしまい、急遽ジャカルタ行きをキャンセルして、どんなところか想像もできないパレンバンへ来たわけだ。

 取材陣の多くはクアランプール経由で来たが、日本代表の一行はジャカルタ経由。しかし、フライトが遅れたらしく、トレーニングの開始時間を過ぎても到着しない。なんでもジャカルタではAFC(アジアサッカー連盟)が予約をミスったらしく、スイートルームに10人が泊まるありさまだったという。

 すでに午後10時を過ぎていた。ようやく日本代表を乗せたバスが到着。まだ地元のファンが数十人待っていた。インドネシアはサッカー熱が高いのだ。しかし、こんなに夜遅くのトレーニングというのはあまり記憶がない。オシム監督の試合前日会見がスタートしたときには夜中の12時を過ぎていた。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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