「今も人生での指針の1つ」 Jリーグ創成期を支えたブラジル人元Jリーガーが日本で学んだ”不屈のスピリット”

1995年から5年間、名古屋で活躍したトーレス【写真:Getty Images】
1995年から5年間、名古屋で活躍したトーレス【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】トーレス(元名古屋):前編――不動のCBとして2度の天皇杯優勝に貢献

 Jリーグ創成期の1995年から5年間、名古屋グランパスの不動のセンターバックとして活躍したトーレスは、2度の天皇杯優勝に貢献した。当時、多くの人がブラジル人に対して抱いていた陽気なイメージとは異なり、そのプレーと同様、エレガントで物静かな。闘志を内に秘め、真面目で真摯に日本サッカーで戦う彼は、周囲の誰からも愛される存在だった。

 そんなトーレスは、2001年のヴァスコ・ダ・ガマでのプレーを最後に現役引退したあとも、まさに同じ姿勢で、サッカーに関わるさまざまな仕事に挑戦し、成功を続けている。

「2003年、ジョアン・カルロス(監督)のアシスタントコーチとして、コンサドーレ札幌で仕事をする機会に恵まれたんだ。気候は寒いけど、温かい人々がいる街でね。技術スタッフとして仕事をするのは初めてだったけど、クラブに良い雰囲気で受け入れてもらえて、すごく良い経験になった。フロントからは、選手として戻って欲しいとまで言われたんだ。怪我で引退して2年経ったあとで、期待に応えられるとは思えなくて、話は進まなかったんだけどね」

 帰国後、自分が何をしたいのかを考えていた時、選手の代理人をする機会が訪れた。当時必要とされていたFIFA(国際サッカー連盟)公認代理人の免許も取得し、本格的に取り組み始めた。

「自分のブラジルや日本での経験を生かして、将来有望な若い選手達の経歴をマネジメントしていたんだ。あの頃は、代理人という職業に対して、サッカーにとって良くないものというイメージを持つ人もいた。だから、『そうじゃない。選手とクラブの両方を手助けする存在なんだと言える、ポジティブな仕事をしなくては』と考えていた。それに、僕は日本に大きな借りがあるんだ。友情を築き、日本文化から多くを学んだ。だから、次の段階として、日本サッカーに適応し、成功できる選手を紹介したいというのも、大きな願いだった」

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藤原清美

2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。

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