「いずれ日本代表の監督を」 元日本代表DFが語る阿部勇樹が「神様」だったワケ
栗原勇蔵氏が今季限りで引退する阿部勇樹との思い出を回想
浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹は、今季限りで24年間のプロ生活にピリオドを打つ。高校生だった1998年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)でJリーグデビューを果たし、第一線で戦い続けて20年以上。選手として、人間として、愛され続けた男の“輝き”を、A代表で共闘経験のある元日本代表DF栗原勇蔵氏が振り返る。(取材・構成=Football ZONE web編集部)
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千葉のユースで育った阿部は1998年8月5日、Jリーグ第1ステージ第16節ガンバ大阪戦でJリーグデビュー。16歳333日のJ1最年少記録(当時)を打ち立て、翌年には“高校生Jリーガー”として、J1リーグで30試合出場と存在感を示した。
横浜F・マリノスのユース出身で、2歳年下の栗原氏は、阿部を「ユース界で言えば神様」と表現する。
「阿部さんは、中学・高校時代から天才的でした。高校生でJリーグに出場していたスーパースターで、しかもそこからプロで24年。とんでもない話です(笑)。キックの上手さが一番印象的ですが、守備も攻撃もできて、本当にオールマイティー。ポジションもリベロ、ストッパー、ボランチ、トップ下……、FWはあまり見たことないけど、サイドバック(SB)もやろうと思えばできるだろうし、どのポジションもハイレベルでこなすセンスの塊でしたね」
その後、07年に移籍した浦和でチームの顔となり、欧州挑戦もした阿部。10~11年に日本代表で同じ時間を過ごすことも多かった栗原氏は、「サッカー以外のことも含めて、よく話した記憶があります」と振り返る。
「代表期間は、空きの時間によくトランプとか一緒にやって、仲良くさせてもらいました。先輩からも、後輩からも慕われていて、阿部さんのことを悪く言う人なんて聞いたことがありません。あれだけの実力の持ち主で、人間力もある選手はそんなにいない。神様が二物も三物も与えた人というか、日本の宝ですよね」
36歳で現役を引退し、栗原氏は、40歳まで戦い続けた阿部に労いの言葉をかけるとともに、サッカー界での次なる役割にも期待を寄せる。
「本当に『お疲れさまでした』と言いたいです。あのレベルに行った人にしか分からないものがあって、これからのサッカー界に生かしてもらえればありがたいし、いずれクラブ、日本代表の監督をしてもおかしくないと思います」
[プロフィール]
栗原勇蔵(くりはら・ゆうぞう)/1983年9月18日生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。
(FOOTBALL ZONE編集部)