リオ五輪“3人目のOA”興梠を初の世界大会に導いた絆 「テグさんの期待に応えたい」

8年前に果たせなかった五輪行き 「一つでも上に、メダルも取りたい」

 手倉森ジャパンのラストピースは、最前線のFW興梠慎三(浦和)に決まった。23日、日本サッカー協会と浦和レッズは興梠がリオデジャネイロ五輪代表のオーバーエイジに選出されたことを発表した。興梠は、同世代の日本代表FW本田圭佑(ACミラン)や同FW岡崎慎司(レスター・シティ)へのライバル心をチラリとのぞかせながら、手倉森誠監督との絆が決断に向けて背中を押したと、この日の浦和のトレーニング終了後に心境を語った。

 1986年生まれの興梠は、大会直前に30歳の誕生日を迎える。世代で言えば、2008年の北京五輪を目指していた年代だ。当時、鹿島に所属していた興梠は前線の候補の一人とされながらも落選。“自分の世代”では、五輪の舞台を踏むチャンスに恵まれなかった。それだけに、「自分も岡崎とか本田とか同じ歳だけど、昔は同じぐらいのレベルだったので、今はどんどん離されているけど、自分もやればできるんだぞというのを試す良い機会だと思う」という意気込みもあるという。

 浦和は6月11日の鹿島アントラーズ戦から3連敗を喫していた。その直前にはFCソウルとのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)16強のゲームでも敗退し、結果の伴わない時期が続いていた。そのことが、興梠の心を逡巡させた。だが、手倉森監督の言葉が最後の一押しとなり、オリンピックの舞台に立つと決意したという。

「個人的にチームを離れるということですごく悩んだし、なかなかチームが勝てないなかで決断することはすごく難しかった。自分がどこまでできるのか、そして五輪から帰ってきてからどれだけチームに貢献できるのか、いろいろ考えた時に自分のレベルアップした姿を見せたと思ったので決断した。最初は断ったけど、手倉森監督から直々に連絡が来て、『一緒に戦ってほしい』ということで熱くきたので、それに応えたいというように思いが変わった」

 

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