サッカー五輪代表「18人枠」を巡るドラマ 「落選」の悔しさから飛躍した3人の名手

代表時代の遠藤保仁【写真:Getty Images】
代表時代の遠藤保仁【写真:Getty Images】

本大会登録メンバー18人の“狭き門”、遠藤保仁はバックアップとして帯同も五輪出場逃す

 6月22日に男子サッカーの東京五輪代表メンバーが発表される。自国開催の大会で金メダルを目指す大事な選考だが、男子サッカーにおいてはカタール・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選、さらに本大会に向けて貴重な国際舞台の経験を積む機会でもある。ただ、過去を振り返ると五輪の18人のメンバーから外れて、そこからA代表で飛躍した選手も少なくない。今回はその代表的な3人を取り上げる。

■遠藤保仁(1980年生まれ/2000年シドニー五輪落選)

 “黄金世代”の1人としてナイジェリアで行われた1999年ワールドユース(現・U-20W杯)で準優勝に輝いた1人で、五輪予選でも主力の1人として戦ったが、A代表を兼ねるフィリップ・トルシエ監督のチームで惜しくも18人枠に残れず、バックアップとしてチームを支えることとなった。

「フラット3」と言われた3-4-1-2システムのなかで、トップ下の中田英寿を支えるボランチには稲本潤一、明神智和と役者が揃い、さらに左ウイングバックがメインとなった中村俊輔やオーバーエイジの三浦淳宏、マルチロールの酒井友之、2列目のジョーカーには本山雅志など、豊富な戦力に弾き出される形だった。

 そこから2002年の日韓W杯後にA代表デビュー、順調に定着して06年ドイツW杯のメンバー入りを果たしたが、中田英寿のコンバートなどの影響もあり、フィールド選手で唯一ピッチに立てなかった。しかし、その後に押しも押されもせぬ主力として10年南アフリカW杯のベスト16進出に大きく貢献し、続くザックジャパンでも長く日本を支えたことは周知の事実だ。

■大迫勇也(1990年生まれ/2012年ロンドン五輪落選)

 今や攻撃の大黒柱としてA代表を牽引する大迫も、2012年ロンドン五輪では予備登録メンバー止まりだった。当時の関塚隆監督によってアジア予選などでチャンスはもらったが、なかなか得点をあげられず、本番に向けて永井謙佑を1トップにする特殊なシステムもプランに入ってくるなかで、調子を上げていた杉本健勇に押し出される格好となった。

 しかし、鹿島アントラーズで得点力が開花してA代表の候補となり、13年には東アジアカップのオーストラリア戦で2得点を挙げるなど、当時のザッケローニ監督の評価を大きく高めて、アジア予選に参加することなくブラジルW杯のメンバーに選ばれた1人になった。その後、欧州挑戦の最中で招集されない時期もあったが、16年に復帰するとハリルジャパンでも前線の主力に定着、ロシアW杯直前に就任した西野朗監督の信頼も揺るがず、ベスト16進出の立役者の1人となった。

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河治良幸

かわじ・よしゆき/東京都出身。「エル・ゴラッソ」創刊に携わり、日本代表を担当。著書は「サッカーの見方が180度変わる データ進化論」(ソル・メディア)など。NHK「ミラクルボディー」の「スペイン代表 世界最強の“天才脳”」を監修。タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。国内外で取材を続けながら、プレー分析を軸にサッカーの潮流を見守る。

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