横浜FMで学んだプロとしてのあるべき姿 “プリンス”星大輔を支え続けたポリシーは?

2003~05年まで在籍した山形では主力として活躍【写真:本人提供】
2003~05年まで在籍した山形では主力として活躍【写真:本人提供】

サッカー選手として支えとなった柱谷幸一との出会い

 翌2000年にFC東京へ移籍し、同年8月にレンタルとなったJ2大宮アルディージャで待望のJリーグデビュー。FC東京に復帰した02年には、1stステージ第2節の敵地・浦和レッズ戦(1-0)でスタメン出場を果たし、自身初となるJ1公式戦でMF小林成光の決勝ゴールをアシストする輝きを放った。この年はリーグ戦9試合の出番にとどまるが、その後にJ2モンテディオ山形で主力として活躍するきっかけを掴んだ。

「開幕戦で鹿島アントラーズに(4-2で)勝っての2戦目。J1デビュー戦、そして(02年6月に)ワールドカップが開催される埼玉スタジアムのピッチだったという意味で、印象深い試合の一つです。『やっと来たか』と。退場者が1人出て、DFを入れないといけない状況で後半13分に退きましたが、あの約60分間は今でも記憶に残っています。本当にスタートラインでした。高卒で2~3年で終わる選手はたくさんいます。自分も大宮でなかなかフィットできず苦しんだなかでも、諦めずに続けることが大切だと学べたからだと思います」

 星のキャリアを語るうえで、欠かせないのが元日本代表FW柱谷幸一との出会いだ。山形、京都サンガF.C.、栃木SCで、監督と選手として一緒に戦い、足が速いサイドアタッカーとして大きな期待をかけられた。

「(2002年限りで)FC東京を退団した後、行くところがなかなか決まらなかったなかで、柱谷さんが声をかけてくださって、そこからのご縁です。山形、京都、栃木……、かなり評価していただきました。京都に移籍した05年当時、私もまだ24歳。『若いチームをまた作っていきたいんだ』『お前みたいなワイドで仕掛けられる選手が必要だ』とオファーをいただいて行きました。柱谷さんが求めるプレーをできたのもあるし、私も柱谷さんが考えているサッカーがすっと入ってきて、上手くフィットできたと思います。当時は、右のワイドでどんどん仕掛けていきましたね」

 2008年には柱谷からのラブコールに応える形で、カテゴリーを落としてJFLの栃木へ移籍するも、開幕前に左足アキレス腱を断裂。長期離脱を余儀なくされたこの大怪我は、のちに31歳で現役引退を決断する一因となるが、一度は契約を切られ、練習生扱いになりながら、再びピッチに戻るまで星が諦めることはなかった。

「京都の最後の年(07年)は怪我もあって、トップパフォーマンスを見せられませんでした。カテゴリーがJFLに落ちるのもハードルになっていた部分で、(栃木移籍を)なかなか決断ができず、年が明けてしばらくした時に返事をして、柱谷さんには『(決断が)遅いんだよ』と怒られましたね(笑)。ただ、初経験だった人工芝の影響なのか、開幕前に左足アキレス腱を断裂してしまって。栃木では柱谷さんと1試合も一緒に戦えず、リハビリの日々でした。丸1年プレーしていなかったので、一回契約を切られましたが、状態も上がってきたところで、もう少し様子を見させてくれとクラブからも話をいただいて、練習生を経て、09年4月に再契約をしてもらいました」

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