宮本恒靖に“人生を変えられた” 異才ピアニスト・反田恭平がG大阪を応援する理由

鼻骨を骨折した宮本恒靖は2002年日韓ワールドカップでフェイスガードをつけてプレーした【写真:Getty Images】
鼻骨を骨折した宮本恒靖は2002年日韓ワールドカップでフェイスガードをつけてプレーした【写真:Getty Images】

富士ゼロックス杯を生観戦、G大阪のサポーターに 

 今年2月20日に川崎フロンターレとG大阪が激突した富士ゼロックス・スーパーカップ。反田は試合会場の埼玉スタジアムに足を運んでいた。

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 反田の中で“バットマン”に対する憧れの気持ちは、ピアニストになってからも変わっていなかった。インタビューで事あるごとに前述の宮本監督にまつわるエピソードを話していたところ、それが本人の耳に入り、試合に招待されたのだった。

「スタジアム観戦は人生で初めての経験でした。ヨーロッパのサッカーをテレビ中継で見ていましたし、Jリーグももちろん好きですけど、これまでは特定のチームを応援するということはありませんでした。でも、今回縁あってG大阪の試合を生で見させてもらって、すっかり魅了されてしまいました。(G大阪は)試合に負けてしまいましたけど、ベンチから指揮する宮本監督の存在感は凄かったです。

 サイン入りのユニフォームまで頂いて。『今を生きろ、今を掴め(Seize the day)』というメッセージも書かれていました。僕はチェーホフの『くすぶるな、燃え上がれ』という言葉が好きで自分のモットーにしているんですが、それに通ずるものがあるなと感じてとても嬉しかったです。感動して、試合の翌日にはG大阪の300名限定のプレミアムメンバー(※2)にもなりました」

クラッシクの新レーベル「NOVA Record」を設立するなど、反田氏は注目を浴びるピアニストの1人だ【写真:株式会社NEXUS】
クラッシクの新レーベル「NOVA Record」を設立するなど、反田氏は注目を浴びるピアニストの1人だ【写真:株式会社NEXUS】

 反田は「あの時、宮本選手がバットマンじゃなかったらピアノはやってないかもしれない」と語っている。サッカーの道は諦めたが、運命の巡り合わせが反田と宮本監督を引き合わせた。

 そして今、反田はオーケストラをまとめる立場にもなった。誰をメンバーに招集し、舞台上で楽器をどのように配置するのか考える仕事は、どこかサッカーの監督にも近いものを感じているという。生きる世界は違えど、これからも宮本監督を追い続けることになるだろう。いつか、肩を並べる瞬間を夢見て――。

「今年はG大阪が30周年ということですし、僕がピッチで演奏するようなこともやってみたいですね。今はまだ宮本選手の背中を追いかけているところですけど、いつの日か肩を並べてお話する時がきたら嬉しいです」

(※2)G大阪ファンクラブのハイグレードプラン。300名限定で、選手と直接交流できるなどの豪華特典がついている。

[PROFILE]
反田恭平(そりた・きょうへい)
1994年生まれ。2012年、高校在学中に第81回日本音楽コンクール第1位入賞。併せて聴衆賞を含む4つの特別賞を受賞。2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経てF.ショパン国立音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)研究科に在籍。レーベル「NOVA Record」やジャパン・オーケストラを設立。
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(石川 遼 / Ryo Ishikawa)



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