熊本の大地が育んだリオ五輪代表の植田と豊川 類稀な個性を磨いた母校に息づく”成長の輪廻”

平岡が見い出した豊川の隠れた“変態”部分

 

  そして同時に、もう一人の変態が入学してきた。谷口彰悟、車屋紳太郎(ともに川崎フロンターレ)を輩出した熊本市立長嶺中からやってきた豊川は、中学の3年間、熊本県選抜のエースストライカーを張るなど、名の知れた選手だった。

「プレーのアベレージは高かった。ボールがあるところにしっかりと顔を出せるし、今も見て分かるように、田舎もんにしては洗練されたプレーができる」

 平岡は、この平均的にうまい豊川に変態な部分を見い出した。

「彼はシュートがずば抜けてうまい。それが、彼のストロングポイント。じゃあこれを磨くには、どのエリアで動く量を増やして、どこでイマジネーションを作り上げるのか。バイタルエリアで積極的に動くとか、常に相手が嫌がる動きと、シュートを一番生かせるオフ・ザ・ボールの工夫を繰り返し教えた」

 平岡は、この2人を1年の時からAチームで出場させた。豊川も、植田も中学時代のポジションはFWだった。大津でもFWを希望したが、平岡は迷うことなく豊川をトップ下に、植田をセンターバック(CB)にコンバートした。

「豊川には入学後、すぐにセカンドストライカーの動きを教え始めました。人が動いた後のスペースに入っていく動きを徹底することで、シュートを打つ時間が作れる。なおかつギャップをイメージして、そこに入っていけば、ヘディングでも点を取れる。シュートは足だけじゃない。ヘッドも立派なシュート。彼には頭の中身と全身を使って、どんな形でもシュートを打てるプレーを意識させた。植田は持っているポテンシャルをどこで使うかを考えた。もっと言うと、『どこで日本代表にさせようか』と考えていた時、彼の高さ、強さ、速さ、闘争心を生かすならCBしかないと思った」

 U-23選手権でのイラン戦の豊川のゴールは、まさに平岡が教え込んだ形であった。植田も空中戦と対人の強さ、闘争本能を惜しげもなく発揮した。まさにこの雄大な自然に囲まれた場所で、彼らの運命は切り開かれていったのだ。

 

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング