奇跡の復活後も試練の連続 不屈の海外日本人アタッカーが自らの生き様に込める思い
【伊藤源太インタビュー|後編】クラブW杯出場を夢見てニュージーランドでトライアウト
東京五輪世代のMF伊藤源太はマンチェスター・ユナイテッドのスクールに短期留学し、その後にエスパニョールのカンテラに練習生として参加。18歳で日本の指定難病に認定されている視神経脊髄炎を発症する試練を乗り越え、サッカーボールを追いかける日々に全身全霊を注いできた。
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インタビュー後編は、視神経脊髄炎から復活後の海外挑戦に至るまで。MF堂安律(ビーレフェルト)やDF冨安健洋(ボローニャ)ら「同世代のフットボーラーに並びたい」という大きな野望に対し、「お前には無理」と厳しい目を向けられることもあった。反骨心と雑草魂で這い上がってきた不屈のアタッカーが、自らの生き様で伝えたいことは――。
高校2年生の冬に指定難病の視神経脊髄炎を発症した伊藤源太は、約1カ月のつらい闘病生活を乗り越え、3年生になる直前の3月に退院。「インターハイ予選のメンバーに入ってやる」と強い決意を持って、サッカー部の練習に復帰した。処方された薬の関係で少なからず制限はあったが、入院期間で落ちた筋力や体力を取り戻すのにそこまで時間はかからなかった。
「免疫を落とす薬を飲んでいるので、擦り傷をしてしまうと膿んでしまうし、治りが遅い。感染症とかになったら、最悪の場合、足や手を切らないといけなくなるから、絶対にダメだと言われました。監督にはボールを触る練習から始めると伝えて、最初は対人メニューの時に抜ける感じでしたけど、チームメートも助けてくれて、思った以上に早く本来のプレーレベルに戻ることができました」
自分が立てた“復帰プラン”通り、インターハイ予選にも出場した伊藤は、大学進学が決まっていたが、高校卒業前の2017年1月にトライアウトでニュージーランドへ渡る。きっかけは、FIFAクラブワールドカップに出場していたオセアニア王者オークランド・シティだった。
「なんで高校に入ったんだろうと考えた時に、中学時代にエスパニョールのカンテラで悔しい思いをして、『ここだったら上手くなれる』『あのレベルに追いつくんだ』と思ってやっていたなって。当時のクラブワールドカップでオークランド・シティが出ているのを見て、アジア以外の大陸チャンピオンと戦えるんだと知りました。マンチェスター・ユナイテッドのスクール、エスパニョールでお世話になったコーディネーターの方に、オークランド・シティを見て改めてプロになりたいと思ったことを伝えたら、『ニュージーランドにツテがあるから行ってみる?』と言われて、すぐに返事をしました」