なでしこ天真爛漫アタッカー、16歳で頭をよぎった「引退」と前十字靱帯断裂からの復活劇

作陽高女子サッカー部時代のMF三谷沙也加(写真右19番の選手)【写真:大森琢磨】
作陽高女子サッカー部時代のMF三谷沙也加(写真右19番の選手)【写真:大森琢磨】

ターニングポイントになった作陽高転校と池田監督との出会い

 家族とともに、ターニングポイントの鍵を握ったのが、2011年から作陽高女子サッカー部を率いている池田浩子監督だ。三谷は「先が見えなかった時に拾ってくれたのがゴピさん(池田監督の愛称)でした」と感謝するが、池田監督も当時のことを鮮明に覚えているという。

「私が監督になって2年目、作陽が変わり始めた頃でした。沙也加が子犬の目のような、“助けてほしい”という感じでお母様と一緒にうちに来たのは今でも覚えています。サッカーというよりも、どこで自分は生きていけばいいのか、何を信じて何を目標に頑張ればいいのか、それさえも不安な感じでした」

 家族の後押し、池田監督との出会いにより作陽高で再スタートを切った三谷は、「9番」を託され、得意のドリブルで攻撃に緩急をつける中心選手となっていった。しかし最終学年、夏のインターハイでチームを初の3位に導いた直後に再び彼女に試練が襲いかかった。

 2013年9月28日、岡山県代表として出場する国体1回戦に向けた練習試合で左膝前十字靱帯を断裂。全治8カ月の大怪我を負い、目標としてきた選手権出場が叶わなくなってしまった。三谷は「(怪我をしたのは)9月28日、絶対に忘れません」と回想する。

「埼玉での尚美学園大との練習試合で、ボールをかっさらおうとした時に軸足がブレて、自分でやってしまった形です。大きな怪我はあれが初めて。最後の大会だった選手権に懸けていたので悔しさは半端なかったし、作陽の試合で怪我したわけではなかったので余計に辛かった。埼玉の病院に行って診察を受けたんですけど、(岡山の)親に電話しづらかったです」

 練習試合に立ち会っていた池田監督にとっても、教え子の大怪我はあまりにもショッキングな出来事だった。

「一番乗ってきた時、国体の最後の調整試合で、指導者としてそこにいた私の目の前で怪我をしてしまった。救急車にも一緒に乗って、一緒に泣きました。泣き崩れながら『もう一生サッカーはできない』と本人が言っていたのは覚えています」

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