来季湘南加入の青森山田MF神谷が高校サッカーを選んだ理由 “思うがままに生きる覚悟”

最初で最後の選手権

 東京を離れ、青森へと降り立った。そこでいきなりあの写真の光景が、現実のものとなった。
「山形市にも雪のイメージがあるけど、実際はそんなに積もらない。でも、ここでは踏み込めば膝上まで来るし、周りには身長以上の高さの雪の壁ができて『こんなに降るのか』と驚いた」
 想像を絶する積雪量。その中で行われる雪上サッカーは過酷を極めた。初日から全身をつって動けなくなる経験もした。
「この経験をみんなは3年、青森山田中出身だと6年もやっている。本当にすごいと思ったし、強さの理由が見えた気がした。つらかったけど、その仲間に入ることができた喜びの方が大きかった」
 望んだ環境に身を置ける喜びが、彼の心を支配した。そこからは足りないものを埋めていく、濃密な日々を送った。黒田監督は、その時の神谷をこう述懐した。
「率先して飛び込んでいく。名門にいたプライドや、見えのようなものが全く無かった。純粋にここでサッカーがしたいという気持ちで、毎日取り組んでくれたから、周りも彼を受け入れたと思う」
 主将の北城俊幸も「意欲的で、仲間を大事にしてくれる。だから、僕らも覚悟を持ってここに飛び込んで来た優太を、しっかりと受け入れて、みんなで成長していこうとした」と言う。
 転入からわずか2カ月後の3月。黒田監督が彼に託した番号は、柴崎も背負った10番だった。
「うれしかったけど、不安もあった。初めて着た時、肩がグッと重くなった。初めて、これほど重いユニホームがあるのかと思ったし、今でもそれは感じる」
 この『重さ』は成長を大きく促した。突然やって来た自分に、いきなり10番を託してくれた監督、それを受け入れてくれた仲間たちの思いが十分に伝わった。同時に強烈な責任感も生まれた。
「柴崎選手のようにプレーだけでなく、背中で、存在感で引っ張っていかないと。偉大な先輩の名を汚すことはできない」
 重い番号を背負ったことで日々の意識が変わり、チームのことを率先して考えるようになった。青森の地で得たもの。それは欲しかった折れない精神力と、仲間の大切さを知ることだった。
 その成長はプロのスカウト陣の注目を集めた。湘南ベルマーレ、モンテディオ山形、松本山雅FCから声が掛かった。その中から湘南への加入を決め、目標だったプロサッカー選手の扉を開いた。
「雪の環境や寮生活、長距離移動などを経験して、仲間と一緒に一つひとつ乗り越えていく大切さを学んだ。今思うと、ヴェルディの時はプロになるために生き残らなければいけないと必死だった。けれど、ここでは『この仲間と選手権を戦いたい』という気持ちを持つようになった。全員が目標に向かって、必死に日々を過ごす。この過程に身を置き、連帯感や仲間を思う気持ちが強くなった」
 いよいよ彼の目の前には『最初で最後の選手権』が迫ってきた。小学生の時にテレビで見た憧れの背番号10を着て挑む舞台だ。
「こんな濃い1年を過ごしたのは初めて。だからこそ、選手権でみんなに恩返しをしたい」
 彼が高校サッカーを選んだ理由。それは自分にうそをつかず、前進を続ける、強い意志と覚悟の上に存在していた。

■profile
神谷優太(かみや・ゆうた)
1997年4月24日、山形県生まれ。東京Vジュニアユースから高校2年の途中に青森山田へと編入。鹿島MF柴崎岳もつけた10番を背負う。決定的なラストパスと、精度の高いシュートでゴールを奪うフィニッシャー。来季J1湘南への加入が内定している。

安藤隆人●文 text by Takahito Ando
柴田ヤスヲ●写真 photo by Yasuo Shibata

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