日本代表FWに感銘「僕もギラつきたい」 見つめ直した役割…偉大な先輩は「存在感が半端なかった」

國學院久我山3年FW桒原慧「半年以上、ボールキープを磨いてやってきた」
ゴールこそ生まれなかったが、その2本のシュートに、ストライカーとしての確かな成長を感じた。
【PR】日本人選手の活躍を毎節無料で!ABEMAでブンデスリーガ放送中!
10月24日、清瀬内山運動公園で行われた第105回全国高校サッカー選手権東京都Bブロック準々決勝。名門・國學院久我山と、今夏のインターハイに出場した国士舘が激突した屈指の好カードは、先制された國學院久我山が後半に追いつき、延長後半終了間際の劇的なゴールによって2-1の逆転勝利を収めた。
この試合で強く印象に残ったのが、國學院久我山の9番を背負う3年生FW桒原慧(くわはら・けい)のプレーだった。
後半、桒原には2度の決定機が訪れた。いずれも右サイドからのクロスに対し、ニアサイドへ鋭く飛び込んだ場面だった。ゴールに背を向けた状態で、足もとに勢いよく入ってきたボールを右足でピタリと収める。ここで注目したいのは、そのトラップの技術だけではない。
ボールを受けた時の姿勢が、実に素晴らしかった。
背筋がピンと伸び、相手DFを背負いながらも体の軸がぶれない。上体が傾くことなく、顔が上がっているため、相手の動きを把握しながら次のプレーを選択できる状態にあった。
1本目はトラップから迷わず右足を振り抜くボレーシュートを放つが、これは相手DFのブロックに阻まれた。
そして2本目。再びニアに飛び込んでボールを収めると、今度は右足でシュートを打つと見せかけてキックフェイント。スライディングブロックに来たDFを巧みに外して切り返した。ボールが相手に当たって少し浮いたため、最後は左足の強いシュートではなく、右足のアウトサイドで押し込もうとしたが、これもDFに阻まれてゴールとはならなかった。
2本ともゴールにつながらなかったが、なぜ、あれほど難しい体勢でボールを受けながら、バランスを崩すことなく、次のプレーへスムーズに移行できたのかが気になった。その答えを尋ねると、桒原はこう口にした。
「ここ半年以上、ボールキープを磨いてやってきたんです」
そこには彼がストライカーとして生き残るために重ねてきた試行錯誤があった。中学時代は横河武蔵野でプレーし、國學院久我山に進学。高校1、2年時もFWとしてプレーしていたが、最終学年を迎えたとき、右サイドハーフへのコンバートを告げられた。その理由は、決してポジティブなものではなかった。
「僕が前線でボールキープができないから、FWではなく右サイドでプレーすることになったんです」
桒原はスピードを武器に、DFラインの背後への抜け出しや突破を得意としていた。しかし、それだけでは國學院久我山のFWは務まらない。複数人が動きながら関わる華麗なパスワークを武器とするチームにおいて、最前線の選手には単にゴールを狙うだけでなく、相手を背負ってボールを収め、味方が攻撃に参加する時間を作る役割も求められる。
「うちの両サイドは強いので、ちゃんと活用できるようにキープすることが必要なんです。ボールを収めて、叩いて、サイドからチャンスを作れるようにしないといけない」
FWから外されたことが、逆にFWとして必要なものを見つめ直すきっかけとなった。
「その時にハッとしたというか、『やっぱりFWはキープもできるようにならないといけない』と感じて、そこから猛練習したんです」
まず取り組んだのが、体づくりだった。広背筋を鍛え、下半身の筋力を高め、体幹も徹底的に強化した。そこには明確な理由があった。
「僕はボールを受ける時に猫背になってしまっていたんです。それだと前傾姿勢になって相手を背負えなかったり、足元で受けた時にバランスを崩して次のプレーにつなげられなかったりしたので、背筋をピンと伸ばして受けられるように、しっかりと相手を背負える筋力をつけました」
単純に体を大きくするための筋力トレーニングではない。なぜボールを収められないのか。なぜ相手を背負うとバランスを崩してしまうのか。その原因を自分の体の使い方に求め、必要な筋肉を鍛え直した。もちろん、ピッチ上でも相手を背負うプレーや、足もとでボールを受けてタメを作り、味方にボールを預けるプレーを繰り返した。
その成果が実り、夏の終わり頃から再びFWとして起用されるようになった。国士舘戦で見せた2本のシュートは、まさにその積み重ねの結晶だった。
「前だったらあそこで猫背で受けてしまって、ターンが窮屈になったり、前を向けなくてDFにアプローチされたりして、そのまま奪われたり、サイドに戻したりしていたかもしれません」
決められなかったことは課題だが、シュートまで持ち込めたことが大きな成果だった。実は桒原がここまでFWというポジションにこだわり、努力を重ねてきた背景には、ある偉大な先輩の存在があった。それが塩貝健人だ。
2022年度、國學院久我山のエースとしてチームを全国高校サッカー選手権に導き、その後、慶應義塾大を経て海外へと羽ばたいたストライカー。桒原が國學院久我山への進学を決めたのも、塩貝の存在が大きかった。
「中学生の時、ちょうど塩貝さんが選手権予選で活躍し始めた時だったので、僕もこのチームでサッカーがしたいと思ったんです。文武両道で勉強もできるし、サッカーで全国を狙えると思ったので決めました」
塩貝の何に惹かれたのか。
「塩貝さんはつなぐテクニックもありながら、パワフルでゴリゴリ行く感じが、本当に楽しそうにサッカーをしているように見えたんです。僕も攻撃面でガツガツいきたいなと思って憧れました」
華麗につなぐだけではない。時には強引に相手をねじ伏せ、ゴールへ向かって突き進む。國學院久我山の技術と、ストライカーとしての圧倒的な迫力。その両方を体現していたのが塩貝だった。
当初、桒原はその迫力を自分の武器であるスピードや裏への抜け出しによって表現しようとしていた。しかし、右サイドハーフへのコンバートを経験したことで、気づいたことがある。塩貝のようなプレーをするためには、目に見える華やかなプレーだけを真似していても足りない。相手を背負える体の強さ、ボールを失わない技術、激しい接触のなかでも崩れない姿勢。そうした土台があってこそ、ゴールへ向かう迫力が生まれる。彼はそのことを理解し、体づくりから取り組み直したのだ。
そんな桒原にとって、忘れられない出来事があった。北中米W杯後の夏休み、塩貝が國學院久我山のグラウンドを訪れたのだ。
「話しかけることはできなかったのですが、存在感が半端なかったです」
その時、目に焼き付いた光景がある。チームメイトと塩貝が、シュート対決をしていた。そこで塩貝は、自分が納得するシュートを決めるまで、何度も「もう1回」と繰り返したという。
「こんなささいな勝負でも勝つというハングリー精神がすごいなと思いました。自分が納得するシュートを決めるまでやり続ける。それは本当にすごいなと目の当たりにしました」
技術、フィジカル、そして勝負への執着心。桒原が追い続けてきた塩貝の背中は、近くで見ることで、さらに大きなものになった。
「僕は彼のメディアをとおして見えるギラつきは素晴らしいことだと思っているんです。僕もギラつきたいと思いました」
國學院久我山はこれで東京都Bブロックベスト4に進出。次なる舞台は、味の素フィールド西が丘だ。
4年前、塩貝はこの西が丘で行われた帝京との準決勝で2ゴールを叩き出し、チームを決勝へと導いた。そして決勝でもゴールを奪い、國學院久我山に全国への切符をもたらした。
憧れの塩貝が4年前に立った西が丘のピッチに、今度は桒原が立つ。塩貝がそうだったように、「ここぞ」という場面でゴールを奪い、チームを勝利へと導くことができるか。
4年ぶりの全国選手権出場を目指す國學院久我山。その夢を実現させるために、憧れの先輩の背中を追い続けてきた9番が、今度は自らのゴールで塩貝以来の全国選手権への道を切り開く番だ。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』、新刊は『ともに歩き出す サッカーと家族と新しい日常』(ともに徳間書店)。講演家としても全国を回っている。元・名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター(2022年〜2026年4月)、現・國學院大學体育連合会蹴球部コーチ。



















