W杯の壁”サッカー”呼びは「一度も優勝していない」 ”フットボール”呼称の背景…世界制覇の共通点

世界的にサッカーはフットボールと呼ばれている
日本代表がワールドカップで優勝するために越えていかなければならない壁はいくつもあるが、そのうちの1つが「サッカー」を「フットボール」と呼ぶことではないかと思っている。
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ご存知のとおり、世界的にサッカーはフットボールと呼ばれている。呼び方なんて、どうでもいい? そのとおり。サッカーをフットボールと言い換えたところで日本代表が急に強くなるわけではない。そもそもプレーに何の影響も与えない。強ければ勝てる。それだけの話である。
ただ、指摘しておきたい事実としてフットボールをサッカーと呼んでいる国は一度も優勝していない。
もちろん、フットボールと呼ぶことが優勝の条件などではなく、4回優勝しているイタリアはフットボールではなくカルチョと呼んでいる。フットボールの呼び方もドイツがフスバル、ブラジルはフッチボウ。フットボールそのままというわけでもない。
そもそも世界的にフットボールで定着しているのは、このスポーツが英国発祥であり、各地に技師として訪れた英国人が持ち込んだものなので、そのまま受け入れただけの話。フットボールは電線や造船や配管工事とともに世界に広まっていったわけだ。
ところが、フットボールと呼ばない国もあった。すでに別のフットボールが存在していた米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドである。フットボールが複数あるのは紛らわしいから、英国でも使われていたサッカーとしたようだ。サッカーはアソシエーション・フットボールが転化した呼び方。
日本では複数の呼び方があった。明治生まれの人は普通にフットボールと呼んでいて、ア式蹴球または蹴球も一般的だった。日本サッカー協会も蹴球協会だった。中国の足球はフットボールと同義だが、日本や韓国のように「蹴る」という動作で呼んでいるのは、イタリアのカルチョがそうなのだが、かなり珍しい部類である。
戦後、日本でサッカーが定着したのは米国占領下になったことがおそらく最も大きな要因だろう。米国人にとってフットボールとはアメリカンフットボールだからだ。
これがフットボールだ。試合の中継などで時々耳にするフレーズだが、フットボールをサッカーと言い換えると微妙に意味合いが違ってくる気がする。フットボールは人生のようなもの。サッカーは人生のようなもの。これも何だか同じには聞こえない。
たぶん、言葉の広がりと奥行きが違うからではないかと思う。
フットボールは全世界どこへ行っても通じる世界語になっている。そして、フットボールの国ではほぼ例外なく、その国のナンバーワンスポーツであり人々の生活に深く根ざしている。だから人生に喩えてもそんなに違和感がないのだろう。これを「サッカーは人生」と言うと、サッカーに入れ込んだオタク的な感じがしてこないだろうか。うまく説明できないのだけれど、フットボールをサッカーと言ってしまうと途端に世界が狭くなる。
日本サッカー協会は対外的にはフットボール・アソシエーションで、サッカーと名乗っているのは国内だけ。サッカーと名乗る肩身の狭さを物語っている。
決定的なのは、サッカーを使っている国の社会的地位の低さだ。米国、日本などではマイナースポーツだった。人気が出てきた昨今でも、米国でサッカーが国技になることはないだろう。ただ、日本はもともと他に国技級のフットボールがあったわけではなく、サッカーをフットボールと言い換えても何ら支障はない。ただ、サッカーですっかり定着してしまっているし、今さらフットボールなどと言うのは若干気恥ずかしい感じはある。
サッカーのままでもワールドカップで優勝するのは不可能ではない。しかし、世界中の人々が共有しているフットボールの響きに共鳴しないまま世界一になるとしたら、歴史的な快挙というより極めて特殊な事件として語られることになるのではないか。
(西部謙司 / Kenji Nishibe)

西部謙司
にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。



















