負ければ終わりの「ガチ対決」 日本サッカーを導いた王国との歴史的激突…成長を証明する「恩返し」

オランダ同様、日本サッカーを育ててくれたブラジルは“恩人”
ワクワクが止まらない――。決勝トーナメント1回戦の相手がブラジルになった。抽選会の結果で半ば予想していたとはいえ、対戦が決まると楽しみでたまらない。06年ドイツ大会での対戦はあるが、1次リーグ最終戦で今回とは状況が違う。今回は、負ければ終わりのトーナメント戦。「ガチ対決」だ。
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もちろん、ブラジルは強い。勝ち上がることを考えれば、もう少し楽な相手はある。もう少し後のラウンドで対戦したかったとも思う。それでも、ノックアウトステージでブラジルと試合をすることは特別だ。相手は強いとはいえ、対戦を望んでいたサポーターも少なくないはずだ。
ブラジルは「W杯の象徴」といってもいい。最多5回の優勝はもちろん、唯一の全23大会出場。02年日韓大会以降優勝から遠ざかっているとはいえ、ベスト8には確実に入ってきた。「サッカーが盛んな国は?」と聞かれれば、ほとんどの日本人はこの国の名を答えるだろう。
森保監督はオランダ戦後、ハンス・オフト元日本代表監督の名前を出してオランダへの感謝を口にしたが、ブラジルも日本サッカーに大きな影響を与えた国。多くの日系選手が日本で活躍し、スター選手たちが創成期のJリーグを盛り上げた。ブラジルが日本サッカーを育ててくれたといってもいい。
1967年、日本リーグのヤンマー(現C大阪)に日系二世のネルソン吉村が加入したのが始まり。72年には初の元プロとしてセルジオ越後が藤和不動産(現湘南)入りし、日本リーグ2部の読売クラブ(現東京V)に与那城ジョージが加わった。吉村と与那城は日本国籍を取得して日本代表入り、越後は引退後に日本中を回りサッカー教室を開いて普及に貢献した。
日系人を中心に来日した選手たちは本場のテクニックを伝えるだけでなく、サッカーの楽しさを伝えてくれた。アマチュアの時代に「プロ」としてのメンタル、厳しさも教えてくれた。低迷期の日本サッカーの「先導者」だった。
Jリーグの成功に貢献したのもブラジル人たちだった。ジーコらが人気を牽引し、レオナルド、ドゥンガ、サンパイオらW杯優勝メンバーが世界レベルの技術とメンタルを示してくれた。日本でプレーした外国籍選手を国別でみたら、圧倒的にブラジルが多い。
日本代表の成長にも、ブラジルは欠かせない。Jリーグ開幕前に与那城とともに長く読売クラブを引っ張ったラモス瑠偉が日本国籍を取得。ドーハの悲劇でW杯出場は逃したが、プレーとともに精神面でも日本代表チームを大きく変えた。
呂比須ワグナーは98年フランス大会でのW杯初出場に貢献、中山雅史のW杯日本初得点をアシストした。02年日韓,06年ドイツ大会には三都主アレサンドロが出場、左サイドで攻守に活躍した。10年南アフリカ大会では田中マルクス闘莉王が守備の中心として決勝トーナメント進出の原動力となった。
ネルソン吉村の時代から、多くのブラジル人が日本サッカーの発展に尽くしてきた。とてつもなく大きかった両国の差は、少しづつ小さくなってきた。親善試合とはいえ、日本がブラジルに勝てるようにまでなった。
もちろん、まだまだ力の差はある。代表チームの実力、サッカー文化の歴史も。ただ、一発のガチ勝負なら勝てる可能性も十分にある。日本のサッカーを育ててくれたブラジルに「恩返し」するには最高の舞台。どんな試合になるのか、結果はどうなるのか、ブラジルを相手に日本サッカーらしさを見せることができるのか。ワクワクは止まらない。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。















