南野拓実が決めた“復帰後初ゴール” 手術から6か月…森保ジャパンで体現する「僕にできること」

南野拓実は順調にリハビリをこなす
日本代表MF南野拓実が現地時間6月26日、FIFA北中米ワールドカップ(W杯)ベースキャンプ地のアメリカ・ナッシュビルで行われた練習で“復帰後初ゴール”を決めた。昨年12月のリーグ戦で左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負って約6か月。地道にリハビリを続け、驚異的な回復を見せている“メンター”がまたもチームに勇気を与えた。怪我と向き合いながら、W杯で結果を出すためにチームのために行動。「僕にできることを」——。アメリカの地で体現し続けている。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)
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あの自信満々のシュートではない。力を抜いて、ゆっくりと。確かめるように右足を振り抜いた。ゴール左上。ネットを揺らした。はにかむように振り返り、その感触を噛み締めた。名波浩コーチは「タキ!復帰後初ゴールね!」。大きな大きな第1歩になった。
「術後6か月ぐらい経って、ここまで順調にこられている。筋肉の左右差はここからまだこなしていかないといけない課題としてあるけど、全体的にここまでの道のりは順調にこられています」
W杯には間に合わなかった。サポートメンバー(メンター)としてナッシュビルからチームに同行。「ここまでくるのにいろんな気持ちやもちろん葛藤があった」。それでも踏み切った、森保ジャパンのために自らが動くこと。「今僕がここにいるのは本当100パーセント、チームのため」。ムードメーカーで“お笑い担当”の顔も持つ。それでも、森保監督が「チームコンセプトを体現する選手」と表現するぐらい8年間で絶対的な存在へと成長を遂げた。
前回カタールW杯では10番を背負い、決勝トーナメント1回戦クロアチア戦で悔しさを味わった。PK戦で1番手を務めたがGKに止められて敗戦。その後、2023年、第2期森保ジャパンで9か月間、代表を外れた。その頃、所属のフランス1部ASモナコではザルツブルク時代の恩師アドルフ・ヒュッター監督が就任。再起をかけた。開幕から結果を残し、南野の表情に自信が戻ってきた。
同年9月、W杯以降選外が続いていた南野をモナコで直撃した。「日本代表への思いはどう?」。「そりゃ、思いは消えていないですよ」。カタールW杯後、何度も消えそうになった炎を必死に燃やし続けてきた。その1か月後、日本代表へ復帰。「もう1度、サバイバルの気持ちで臨みます」。個人としての結果だけではない、日本代表のために行動し続けることを誓った。
2014年、セレッソ大阪時代のプロ2年目。元ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランや元日本代表FW柿谷曜一朗らを擁して次世代エースの期待を受けた。だが、夏に柿谷が移籍。チーム状況も思わしくなく、南野への負担は倍増した。「なんで俺だけが……」。当時19歳。シーズン2得点に批判の声もあった。同年、C大阪はJ2への降格が決定。「俺のせいちゃうやろ」。同年冬に海外挑戦を決意。クラブからは残留を要請されるも大号泣で押し切った。「上手くなりたいんです」。チームのために「強くなる」と当時の大熊清強化部長に訴えた。これが“フォア・ザ・チーム”に徹する南野の原点だ。
今、当たり前のようにW杯で優勝を目指すために尽力する。次の相手はブラジル。決勝トーナメント1回戦でW杯優勝5回の“王国”と対戦する。「W杯で優勝するには遅かれ早かれこのレベルの相手とぶつかる。そこに対しては腹括っている。僕は戦い方やリカバリーのところで伝える。自分たちならこの一発勝負のなかで何か起こせる力はあるんじゃないかと思う」。信じて、日々リハビリに励む。チームの練習開始前に1人で走り込み、ボール拾いをして、視野を広く持ち、細やかな声掛けをする。
主将のDF板倉滉は「当たり前じゃない」と存在に感謝した。プレーしたかったはず。思いを押し殺したはず。「それは大会が終わってから話せたら」。南野と共に。W杯という大舞台で歴史を刻む。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)















