三笘、南野、遠藤、久保が不在なのに…驚かされた選手層 チュニジアを圧倒できた理由

日本代表はチュニジアに4-0で圧勝した【写真:ロイター】
日本代表はチュニジアに4-0で圧勝した【写真:ロイター】

森保監督が選手を固定して戦っていたら、主力の相次ぐ離脱で動揺したかも

 これほど安心して見ていられる試合は、これまでのワールドカップ(W杯)であっただろうか。日本代表が4-0でチュニジア代表に大勝した。開始4分に先制ゴールを決めると、その後も効果的に加点。ほとんど危ない場面もなかった。

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 1998年フランス大会から8大会連続出場中で「常連国」の日本だが、過去7大会の成績は7勝12敗6分け(2PK戦負け含む)。5勝が1点差で、2点差の2002年大会チュニジア戦(2-0)と2010年大会デンマーク戦(3-1)も終盤まで1点差、最後までどうなるか分からないギリギリの試合ばかりだった。

 前回大会ではドイツとスペインに勝った。見事な逆転勝ちではあったけれど、自力で上回ったとは思えない。ただ、この日は完全に上回っていた。相手のエルヴェ・ルナール監督が「力の差がそのまま結果に出た」と話していたけれど、その通りの差だった。

 監督交代もあって、日本が得意とする相手の分析も難しかったはず。それでも柔軟に対応し、しっかり勝ち切った。どんな相手にも負けないほどの個の力を得た選手たちが、献身的にチームのために動いた。W杯という大舞台で強く、賢く、美しく戦う日本代表は、本当に頼もしかったし、誇らしかった。

 特に驚かされるのは、選手層の厚さだ。大会前の負傷でMF三笘薫やMF南野拓実が欠場し、直前には主将のMF遠藤航も離脱した。大会初戦のオランダ戦ではMF久保建英が負傷してこの日はベンチ外。主力が次々とかけても、日本の強さは変わらなかった。

 森保一監督が選手層を厚くしてきた。前回大会以降に代表に呼んだ選手は100人近く。試合のたびにメンバーを入れ替え、多くの選手に「日本代表」を経験させた。「ある程度固定した方が」という声にも信念を貫き、直前の英国遠征でもスコットランド戦とイングランド戦で大幅に入れ替えた。

 すべては「優勝を目指して」決勝まで8試合を戦うためだ。1か月以上の長丁場、怪我人も出るだろうし、出場停止があるかもしれない。ピークのコンディションを保つのにも、限界はある。多くの選択肢を持つことが必要だった。

 森保監督が出場した1994年W杯アジア最終予選。Jリーグ発足当時の日本は選手層も薄く、替えの効かない選手がほとんどだった。直前に左サイドバックの都並敏史が負傷すると、その穴は最後まで埋まらず。結局、最終イラク戦の終了間際に左からクロスを上げられて「ドーハの悲劇」になった。

 もし森保監督が選手を固定して戦っていたら、主力の相次ぐ離脱でチームは動揺したかもしれない。もちろん、三笘や南野、遠藤は大切なメンバーだが、彼らがいなくてチームがパニックに陥ることはない。選手が代わっても自信を持って試合に臨めるのは、ここまでの森保監督の周到なチームマネジメントがあったからだ。

 MF鎌田大地がポジションを変えながら2試合連続得点し、FW上田綺世も待望のW杯初ゴールで2得点。取るべき人がゴールを奪い、チームのムードは盛り上がる。32強から始まる決勝トーナメントを考えれば、さらにプラスアルファの力も必要になってくる。それだけの選手層が、今の日本にはある。

 オランダ戦の引き分けに続き、チュニジア戦の大勝でチームは勢いに乗る。応援する日本のサポーターも力が入る。ただ、決勝までは8試合を考えれば、まだ4分の1の2試合。「最高の景色」を見るためには、まだまだ日本の強さを世界に見せつけなければならない。

(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)



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荻島弘一

おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。

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